鬼滅、二周目

 子どもの頃は漫画1冊買ってもらう為に、随分躊躇しながら遠回しに親に頼んでいた。大抵の場合何も買わずに書店を後にすることが多かったけど、時々自分の希望が受け入れられると飛ぶように嬉しかった。本当は飛び上がりたかったけど、本屋はそういう風に感情を爆発させる場所ではないと思っていたし、手に取った本を静かに眺めている人達を邪魔してしまうことになると、僕なりに当時は気を使っていたんだと思う。大人になった今は、あの頃1冊ずつしか買うことができなかった本をまとめて好きなだけ手元に置くことができる。無限に原資があるわけではないけど、少し奮発すれば20から30巻くらいなら一気に買うことは難しくない。いわゆる大人買いというやつだ。もちろん1冊ずつ買うこともできるけれど、今は全巻セットで売り場に並んでいることもあるから、1冊ずつよりも少し得した気分になる。

 『鬼滅の刃』も僕にとっては大人買いした漫画の一つだ。家に届いたその日から読み始めて、先週末には二周目が終わった。一周目は物語の概要を叩き込んで、次はもう少し絵の描写に注意を払って読み進めた。そして近いうちに三周目に入ろうかと思っている。3回目はもっと登場人物達の心情に寄り添いながら読み進めたい。現在公開されている同作の映画は、興行収入が既に歴代1位となっていて、映画を観ていなくともどこかしらで話題になっているのを聞いたことがある人もたくさんいるだろう。スーパーや薬局、そして一見関係のなさそうな飲食店でも関連グッズや商品を目にする機会が増えている。配信中のアニメと公開中の映画で原作を網羅しているわけではないから、この先もまだまだ人々の注目を集めそうだ。

 永遠に生き長らえること。それは悪役と呼ばれる人物達が大抵望んでいるものというイメージが僕の中にはある。そして付け加えるなら、有限のものに対しての無関心というか、蔑むような態度も見て取れる。なぜそうまでして永久に続くものへの関心が絶えないのだろうかと考えた。一つ考えられるのは、彼または彼女が物事には終わりがあることが前提の世界で生きていて、彼ら自身も例外ではなくその道理に当てはまっていると考えているからではないだろうか。但しそれを受け入れたくないという気持ちが背中を押して、良からぬ行動に出ると言える。元々は他の皆と同じ輪の中に生まれ落ちているが、自分はその他大勢とは違うと信じたい、もしくは違うことによって自分の優位性を示して他者を排除しようとする動き。そして最終的にはその対極にある力と拮抗することになる。

 『鬼滅の刃』に登場し、鬼の始祖と呼ばれる人物に仕えて主人公達を苦しめる敵達も、結局のところ始祖に利用されていただけに過ぎず、純粋な悪は始祖ただ1人のように僕には見えた。そしてその始祖でさえ、自分の命が有限であるという主人公達と同じ境遇の人間として生まれながら、それを受け入れずにむしろ事実から目を逸らすようにして生きていた。永遠に生きられると囁きながら、本当は自分が永遠の存在として未来永劫生き続ければいいのであって、それさえ叶うのなら仲間など必要としていないように感じた。それは手を差し伸べたい類の孤独ではなく、救いようがないほど自己中心的な考えだ。誇りなどなく、命を脅かされれば逃げ去ることすら躊躇しない。主人公達とはどうなっても相容れない存在と言える。

 人間を鬼に変えてしまうのは何だろうか?失ってしまったものを欲する気持ちだろうか。もしくは二度と帰らない誰かを失った後悔だろうか。いずれにせよそれは人間の外側ではなく、内側から湧いて出る感情ではないかと思う。元々何もなかったところから作られたのではなくて、既に内側に引き金が意図的かどうかは別にして用意されていて、自分以外の誰かにそれを委ねてしまうことで良くない方向に物事が動き出すように思える。揺らがないように心を固めてしまえたらと思うけど、揺れ動くものだから振られた時に元に戻す力を備えておきたい。そしてその力は自分1人だけではなく、他者との繋がりの中から見出されるものだと思っている。

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