揺られているのは影

 4月らしくない外の暑さに「真夏日」という言葉を簡単に使いたくなる。口に出したところで快適になるわけでもなく、むしろ余計に項垂れた気分になる。そんなことは最初に家を出て外気に触れた時から予感していたはずなのに、実際に予想以上の暑さを感じると下を向きたくもなる。Tシャツの下にヒートテックを着て出掛けたことを後悔しながら、公園の鉄棒で逆上がりまでやって軽く汗をかいた。息子とブランコに乗りたいと、生まれる前から想像し続けてやっとその願いが現実になろうとしていた。公園に行ってブランコに乗るという、一見すると特別なことではない行為を、なぜか感慨深い気持ちになりながらやろうとしていた。週末だからか公園には他の子ども達の姿も目立っていた。

 赤い座面のブランコが設置されていた。全てのブランコで誰かが遊んでいて、すぐに座れそうにはなかった。その場でじっと突っ立っていて、今使っている子ども達に気を遣わせるのも気が進まなかった。とは言っても内心はやはりブランコに座りたいと思っていた。僕ら以外にもブランコが空くのを待っている人達がいたから、何気ない顔をしながら側で待っていた。やがて頃合いを見計らったように、付き添っている大人達が子どもを諭し他の人と交代するように言った。礼を言った後に抱っこ紐で息子を抱える。磁石で固定するタイプの安全ベルトを、彼の腰の周りに通して外れていないかを確認した。自分1人で座るよりも勢いは確実に落ちるだろうし、そもそも足をうまく動かして揺らせるかどうかも定かではなかった。

 ブランコの前から腰を座面に降ろしていく。尻を座面に乗せるようにしたけど、金具が腰骨に当たって収まりが悪かった。痛くて座り続けられないと思い、足の付け根辺りを座面に乗せることにした。窮屈なことに変わりはないが、先程よりは圧迫感が少なくなる。座面の高さが低いのは仕方がない。自分で座りたい子どももいるだろうから、高い座面がその公園に適しているとは言えなかった。息子を抱えたまま座って、足を振ってみた。自分の身体は確かに揺れているけど、ブランコ自体の揺れはかなり大人しい動きになった。抱っこ紐に包まれた息子の顔は険しい。太陽が眩しいのかもしれないし、揺れているのが不快なのかもしれない。いずれにしろ楽しくはなさそうだった。

 時間は既に11時を過ぎていて、いつも家で離乳食を食べている時間が迫りつつあった。眩しいわけでも楽しくないわけでもなく、お腹が空いている可能性も考えられる。僕自身も腹が減っていたので、迷わず家に帰ることにした。行きで降りた駅とは違う駅から帰ることになった。公園からの距離はどちらも大差はない。これまで乗った電車が停車したことはあっても、その駅のホームから電車に乗り込むことはなかった。道順を調べながら歩いたから、到着するまでの時間は長く感じる。まとまった人数の人達が歩いていることと、電車が走る音が段々と近付いているのを聞いて、目的地が今いる場所から遠くないことを実感する。ベビーカーでは階段を昇れないので、ぐるっと回り込んでエレベーターを使うことになった。改札まで移動して、ホームに移動する為に別のエレベーターに乗り込んだ。

 下北沢駅に停車するまでの間に、電車に乗っていた時間は10分もなかったかもしれない。さっきまでいた公園周辺の景色とは違って、下北沢の通りは人がたくさん歩いていた。見慣れたはずのその景色も、ほんの少し離れるだけで新鮮味が息を吹き返すようだった。緑は少ないが全くないわけではない。人は多いが窮屈で歩けないほどではない。強いて言うなら受け入れるという懐の深さのようなものを感じている。優しさという言葉が最も適切かどうかは分からない。でも少なくとも僕の中では、優しいということと受け入れられるというのはとても近しい言葉だと思っている。僕らはアスファルトの上で影を揺らしながら家へと帰っていく。

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