好きな街だから

 今住んでいる家に引っ越してきたばかりの頃は、全く気にならなかった。地面を見て歩くことがないわけではないが、それでも目立たない物ではないと思う。落ちていれば認識できるはずだ。僕はそれを愛用していないし、今までもそういった習慣はない。賃貸の2回目の更新の前に別の場所に再度引っ越したいとはしばらく前から思っているけど、実際に移動するまではどこかに住み続けることになる。それならやはり、清潔な周辺環境で暮らしたいと思うのは自然なことだと思う。建物の玄関付近で喫煙している見知らぬ誰かを見たことも数回あった。彼らが吸い殻を捨てて行ったのかどうかは定かではない。ただ喫煙習慣がない人間が、吸い殻を捨てる可能性はかなり低いということは間違っていないだろう。

 健康でありたいと思っている。だからその健康を害すると考えられる物は摂取したくない。煙草は一切口にしたいと思わないし、煙を浴びることも避けたい。僕がそうしたいのであって、喫煙すること自体は否定しない。生きる為に栄養を摂取して、毎日身体を動かす。仕事に向かう為に歩いたり、電車に乗る。もしくはハンドルを自ら握って車で通勤する人もいるだろう。そして休息を挟みながら活動を続けることになる。自分の思い通りに事が進むとは限らない。会いたくないと思っている人達とも、顔を合わせなければならない時があるかもしれない。大なり小なり理想と現実とのギャップがそこには存在する。心を捉えて中々離してはくれず、ストレスとなって抱え込まされることもあるだろう。

 そのストレスを何で解消するかは人それぞれだ。僕は煙草は吸わないが、酒は時々飲むことがある。頻度としては数ヶ月に1回くらいだけど、一口目の美味しさと酔い始めた時の浮遊感は確かに気持ちがいい。そして心地良さに浸ったまま寝そべる布団も同じく気持ち良く感じる。しかし寝入った時にその心地良さは途切れている。正確には、次に目覚めた時には心地良さとは真逆のネガティブな気持ちになっていることがほとんどだ。飲まなければよかったとまでは言わないが、浮いていられる時間は実際のところほんの僅かだったと毎回気付く。ストレスが解消されたかと問われれば、気分は悪くないと答える。飲まなければやってられないほどの状態だったわけでもなかったけど、何となく思い立ってビールを買いに出かけることばかりだ。

 建物の玄関を出たところは砂利道になっている。所々に雑草が生えているが、草むらのようにはなっていない。地面は硬そうだし、人通りが少ないわけではない。アスファルトほどではないにしろ、誰かがそこを歩く度に踏み固められているんだろう。コンクリートと砂利の境目くらいのところで、白い煙草の吸い殻を見つけたのは去年が初めてだった。一時のことかなと思っていたけど、どうやらそうではないらしい。数個だった吸い殻の数が増えている気がする。落ちていない日はないと言えるほどだ。ある時トイレの窓から見えたのは、数人が談笑しながら煙草を吸って飲み物で乾杯している場面だった。トイレから出て翌日の燃えるゴミ回収の為に、口を縛ったゴミ袋を抱えて外のコンテナに移動させた。その時は既に彼らは飲み終わってどこかに行ってしまったらしく、地面には煙草の吸い殻だけが残されていた。

 緑が多いとは言えないし、人も多い。通っているスーパーは通路が狭く、買い物がしづらい。支払いの時に、非接触決済に常時対応していないのも不満だ。初めて下北沢に来た時から駅前の景色は随分と変わっている。改札の場所も同じではなかった。今はようやく落ち着いたようだけど、周辺の工事が終わりそうな気配はしない。田舎に帰れば綺麗な空気や緑の中で過ごせると誰かが言うかもしれない。そんなことはこの数年ずっと考え続けてきた。それでも僕は下北沢という街が好きだ。自分が住みたいと思う街は、綺麗な場所であってほしい。お互いを尊重し合うという優しさが溢れれば、もっといい街になれる。

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