影と跳ねる
陽射しが眩しい日だった。テイクアウトで頼んだピザを持ち帰り、スーパーで買った烏龍茶と一緒に楽しんだ。ピザを持って帰る途中に弟から連絡があって、昼食を食べたかどうか聞かれ、これから食べることを伝えた。何か用事でもあったのかと思ったが、特に何もなさそうだったしお腹も空いていたのでそのまま家に帰って食べることにした。食べ終わって部屋でまったりしていると、再度弟から連絡がありこれから家まで行ってもいいかと聞かれた。午後は特に予定はなかったから、問題ないと答えた。30分くらいで向かえるとのことだったので、家に留まって待っていた。誰かが訪ねて来ても、賃貸暮らしでは駐車場を提供できない。安いとは言えないなりに、近くの比較的料金が安い場所を探していた。
到着したと連絡があって、家の近くの通りで合流した。僕は息子を抱っこして、妻に駐車場までの道案内を頼んだ。アスファルトの自分の影を見ながら、いつもの癖でゆらゆらと身体を揺らしていた。すぐに戻ってくるだろうと思っていたが中々姿が見えない。週末だから空いている駐車場を探すのは楽ではないのかもしれない。車に乗って下北沢に遊びに来る人はどれくらいいるだろうか。僕の印象ではあまり数は多くないように思う。駅近くのスーパーの前の通りで、普段見ない地域のナンバープレートを付けた車が停車している場面に遭遇することがある。停車と言っても、そこは駐車場ではない。おそらく目的地が下北沢近辺なんだと思う。運転手はスマホやナビの画面を見ながら忙しく指を動かしているようだ。
道に迷っていたのかもしれない。初めて下北沢に来た可能性もある。目的地は間違いなくあるはずなのに到着する気配はなく、どこにいるのかを見失いかけているのかもしれない。道幅は広いとは言えないし、週末で人通りも多くなっている。道行く人の多さに、あたかも行く手を塞がれてしまったような心地になっても不思議ではないはずだ。電車で来ればよかったのに、とは簡単に言えない。車で出かけたい時だってあるはずだ。ある時は車は人の群れを掻き分けるようにして通りに入って行ったし、ある時は来た道を後ろ向きでゆっくりと戻って行った。そんなことをふと思い出しながら、妻と弟家族の姿を雑踏の中に探していた。4月の中旬だったが、僕は足首が露出したズボンに足を通していた。
長身の父親とは違い、姪はまだ小さい。小さいと言っても前回会った時よりも身長が伸びている気がした。礼儀正しいのは両親の存在が大きいんだと思う。でも人見知りをするわけではなく、天真爛漫という言葉がぴったりと当てはまりそうな存在感だ。昼食は済ませたとのことだったので近くの公園に行くことにした。下北沢近辺で歩いていける大きな公園は、僕の知る限り存在しない。だから動きたい盛りの姪には物足りないと思いながらも、時々自分の息子と散歩がてら利用している場所へ案内した。そこは下北沢駅よりも小田急線の東北沢駅の方が近い場所だ。そこを広いと思うかは人それぞれだが、走り回れない程ではないと僕は思っている。遊具の数は多くないが、幼稚園に通っている年齢以上の子どもならある程度楽しめるはずだ。息子はまだ歩けないから姪や他の子ども達に混じって遊ぶことは難しい。でも口を半開きにしながらその光景をじっと眺めていた。
丸太で組まれた階段を、手脚を使いながらゆっくりと昇って行った。そして隣に備わっている滑り台の上から姪は母親に声を掛けていた。滑り台に腰を降ろして覚悟を決めたように動き出した。あっと言う間に下まで滑り降りてきた後は、すぐに立ち上がって走り出す。公園の大きさと、楽しいかどうかはあまり関係がないのかもしれないと思った。遊びは元々用意されているものではなくて、子ども達が自ら身の回りに発見していくものだと。大人はその手助けをすればいいんだと。動き回る彼女の後をぴったりと追うようにして、黒い影が木の影に紛れる。そしてまたすぐに姿を現して、砂埃を立たせながら一緒に踊っていた。