美味しいピザなら食べる

 ピザは元々好きだったわけではない。温められたチーズが苦手だし、冷たいチーズもほとんど食べない。子どもの頃は朝食の時に、よく6個入りのプロセスチーズを食べていたけど、そんなかつての習慣は今はどこかに消え去ってしまった。元々好んで口にしていなかったピザも、今は時々思い出したように食べたくなる時がある。でもどんなピザでもいいかと言えば決してそうではない。自分が美味しいと思えるピザしか食べたくない。誰だってそうかもしれない。自分が美味しいと思える物だけ食べていたいと思う人は少なくないと思う。井の頭線の下北沢駅から歩いてすぐのイタリア料理店で、週末にテイクアウトで注文することが多くなった。その帰り道にスーパーに寄って、ペットボトルの烏龍茶も一緒に買っている。

 その店のピザを自分でも驚くくらい気に入ったから、試しに宅配ピザを代わりに頼んで味の違いを確かめたいと思った。宅配のピザを自分で頼んだ記憶はそれまで無かった。電話越しで会話をしながら注文するのが煩わしいと思っていた時期もあった。母親が料理を作ってくれていたから、わざわざ出前を取って食事をする必要もなかった。今は電話ではなくてネット経由で簡単に注文が可能になっている。ネットで料理が注文できること自体は珍しくない。僕が驚いたのは、配達している人の位置がほぼリアルタイムで画面上に表示されるということだった。配達用のバイクと思われるアイコンが地図上を移動しているのがはっきりと分かる。地図自体は地味な配色で、自宅の場所が分かりやすいとは言えないが、今どこに配達員がいるかは大体把握できる。そのアイコンが近付いたり遠ざかったり繰り返すのを見ながら、玄関のチャイムが鳴るのを待っていた。

 アイコンが自宅前の道路で止まった。間もなく届くんだろう。パソコンを閉じて飲み物を準備している間にチャイムが鳴り、それは案の定ピザの到着を知らせる音だった。2つ積み上げられてまだ温かい箱を受け取る。四角いテーブルの上に置いて早速それらを広げた。香ばしい匂いが部屋の中に漂い始める。テイクアウトを頼んでいる店と同じ名前のピザを注文したが、結構見た目は違う。生地が思っていたよりも厚みがあったし、具は小ぶりだった。大きさ自体はほとんど変わらない。1つ手に取って齧り付く。事前に分かり切っていたことだが、チーズはやはり乗っている。少し焦げ目が付いているくらいが好みだが、焼き加減は特に問題なかった。不味くはない。でもどれだけ食べ進めても、心の底から美味しいとはどうしても思えなかった。値段は頼んだ宅配ピザの方が手頃だ。その分味も価格に見合った物になっているのかもしれない。

 僕は自分の生活を裕福だとは思っていない。そうなりたいと思っているが、今はまだそうなっていない。ある程度値段を出してでも、毎回自分の気に入った料理ばかりを食べようとは思わないし、そういう風にお金を使うつもりもない。でも自分が美味しいと思えない料理でお腹一杯になっても、満足感はあまり感じられない。時々で全く構わない。久しぶりに口にして、やっぱり自分はこれが好きなんだと心から思えることを確かめたい。贅沢な願いだとは思う。贅沢な物を食べたいというよりも、贅沢な時間を過ごしたいと思っている。贅沢という言葉は、満足感と言い換えてもいいだろう。その満足感はいつも自分に力をくれるし、家族を笑顔にもしてくれる。

 テイクアウトにしても宅配にしても、食べた後にごみが出てしまうのは避けられない。裸のピザを運ぶわけにはいかないだろうから仕方がない。電話をして注文し、店に着いたら先に代金を支払う。レジから店の奥に視線を向けると、大きな石窯の中で燃える赤と朱色の炎が見えた。綺麗な色だと思いながら、会計が終わった後にレシートを受け取る。そして無地の白い箱を2つ店員から受け取って歩き出した。息子のベビーフードを途中で買う。ピザが冷めてしまわないように、足早に店内を移動する。小さなテーブルの上で、贅沢な時間が僕を待っている。

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