二度と飲まない

 初めてお酒を口にしたのはいつだろう。僕がまだ子どもの時、年齢から言えばアルコールを飲めないとされている時期、親戚が何人も集まって食事をすることがあった。大人が座る場所にはひっくり返されたグラスが置かれて、テーブルに数本ずつ瓶ビールが並んでいた。それらの傍には栓抜きも。何となくそれは当時の自分には飲めない物だと雰囲気で感じていたけど、子どもの僕が飲んだらどうなってしまうのだろうと、ある種の好奇心のようなものが全くなかったわけではない。ただ自分から味見をさせて欲しいとは言えなかった。でも不思議なことに、酔いが回り始めた大人達はグラスに注がれるビールと一緒にできた白い泡を見ながら、ちょっと飲んでみるかと視線を向けて訊ねてくる。その光景を他の大人も目にしているはずだが、誰も咎めないから唇に白い泡だけ付けてみた。

 その当時は苦いとしか思っていなかったのに、今は時々1本数百円するクラフトビールを買って自分でグラスに注いでいる。泡を唇に付けるだけに留まらず、そのままグラスを傾けてジュースとでも言うべき部分まで喉を通っている。今でこそビールが好きだと言えるが、20歳を過ぎた時からずっとそう思っていたわけではない。むしろ二度と酒など飲みたくないと何度も思っていた時期があった。美味しい酒とそうでない酒がある。僕は後者の美味しくないお酒に対するイメージが強かった。飲み始めて気持ち良くなってくると、1人で次か次へとグラスを開け続けて、次の日の朝に苦しい思いをすることになる。二度とそんな朝は迎えたくないと後悔するのに、必要がないと思った誘いを断れずにまた酒を飲むことになる。

 折り畳みのテーブルが3つくらい繋げられていて、横並びに十数人が座っている。1個ずつ紙コップを持っていて、訪ねてくる大学の先輩や後輩達が1人ずつ順番に少しずつ酒をコップに注いでいく。軽く会釈をしながら、注がれた酒に口を付けたり合間にバケツに捨てて次に注がれる酒を待っていたりした。それだけならまだ耐えられた。中には日本酒の一升瓶を豪快に担いで来て、並々と紙コップに注ぐ学生もいて驚いた。日本酒は元々苦手で遠慮したかったのだが、断れる空気ではないと当時の僕は感じていた。空気を読むというのが心底嫌になった。次から次へと学生が来訪し続けて、もうテーブルに皆が大人しく座り続けられる雰囲気ではなくなっていた。宴会場には最初からブルーシートが敷かれていて、お酒がこぼれてしまっても大丈夫なようにしてあった。もっともこぼれていたのはお酒だけではなかったが。

 そうこうしているうちに突然何を思ったのか、ホースの先に繋がれた漏斗を誰かが持ち出して来た。僕は最初にそれを何に使うのか全く分からなかったが、すぐに信じられない光景を目にすることになる。ホースの先を1人が咥えて、繋がった漏斗の中に他の皆がビールを注いでいるのだ。それを自分もやるのかと思うと嫌悪感しか湧かなかった。そんなに一気に注がれて飲み込めるわけがないことは誰だって見れば分かるだろう。苦しいに決まっているのに、なぜ皆その光景を見て盛り上がっているのか理解できなかった。有無を言わさず1人、また1人と漏斗を交代で咥えていく。もう僕はその場から逃げ出したかった。しかしそれを正直に声を大にして言えずにいると、今まで皆やって来ているからと嗜められた。大学生活で唯一後悔していることがあるとすれば、例えどれだけ反感を買ったとしてもその場から立ち去らなかったことだ。

 昔は急性アルコール中毒で頻繁に学生が運ばれていたと、あたかもこれでもマシな方だと言いたげな言葉を口にする学生もいたが、もし未だにそんな宴会を続けているのだとしたら、それは悪しき習慣としか僕には思えない。美味しく飲めばとても充実した時間を過ごせる手助けをしてくれるはずなのに、水道水でも浴びるように酒を飲んで皆がはしゃいでいる光景を見ていることしかできなかった。全く楽しんでいないのが他の誰かに見透かされないように作り笑いを浮かべながら。

 何だか告発文みたいになってしまったけど、結局当時何も抵抗しなかったということは、僕自身がそれを受け入れると意思表示しているのと同じことだったと思う。その出来事があったからこそ、今本当に自分が美味しいと思えるお酒を飲めているとも言える。酔い潰れて眠っている時間で、できることはなかったかと当時の自分に問いたい。そしてこの先二度と自分にそんな問いをしなくていいように生きたい。

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