今日は泣かなかった

 下北沢駅の目の前にあって、ほぼ毎日行かない日はないくらい通っているスーパーがある。本多劇場も近いその建物の外周には足場が組まれている。組まれたなと思っていたら、今度は外壁の色が変わり始めた。変わり始めたと言っても、日光に当たって色が自然に変化したとかいう類のものではない。買い物で出かけた時に、店内から職人達が色を塗っているのが見えた。以前は確か薄い桃色だった壁が、いつの間にか黒っぽくなっていた。そして色が変わっただけではなくて、所々に模様のような色も目立つように最近はなっている。特別そのスーパーの話をしたいわけではない。在宅勤務で1日全く外に出ないことも時々あるし、絶えず変化し続ける街の様子を忘れないように書き留めておきたくなったのだ。

 息子が生まれて半年以上が経過して、今日は6ヶ月検診の日だった。体重が増えるペースが少し落ち着いてきた気がしていた。家にある体重計に時々息子と一緒に乗っている。そして息子を降ろした後に自分だけが再度体重計に乗る。2回計った数値の差分を、おおよそではあるけど息子の体重として比較し続けている。服は着たままだから誤差は多少あるが、増えているのか減っているのかくらいは分かる。減ることになるのはまだまだ先のことかもしれないが。生まれてから何度も予防接種に通った小さなクリニックに今日も向かう。空は青く晴れていて陽射しが強かった。僕が見ている空の青を絵の具で再現することはできるかもしれないけど、大気圏の先の宇宙までも続いている無限の奥行は表現しきれないと思わせるような深い青だった。

 初めて家の外に出かけた時からずっと今も続いている。頭の方向を変える速度が半年前と比べたら随分早くなっている。でも右を向いたり左を向いたりして、あたかも初めてその場所に来たかのように視線を向けるのは今も変わっていない。抱っこ紐の中の手を握ったり開いたりしているのが、僕が来ているパーカー越しに伝わって来る。何かを伝えようとしているのかもしれないが、確かなことは分からない。下北沢と近隣の小田急線の駅はずっと工事を続けている。下北沢に最初に来たときから、常に街のどこかにバリケードが設置されていて、人々の歩く動線も変わり続けている。工事車両を誘導する作業員の姿は毎日見かけるし、テイクアウトの昼ご飯に並んでいる時も工事関係者らしい人達をよく見かける。道に置かれた三角コーンの間を通り抜けて予約した時間の少し前に到着した。

 いつも通りに診察券やら書類を提出して、名前が呼ばれるのを待っていた。今はもう慣れたが、病院で自分の息子の名前が呼ばれる度に不思議な気持ちがしていた。毎回彼の父親はあなたですよ、と誰かに言われているような気がした。それを自分でも確認するように息子の診察券を見つめていた。そして彼の名前に込めた願いを繰り返し思い浮かべるのだ。年末にインフルエンザの予防接種が可能かどうか問い合わせた時には、ワクチンの有無次第との返答だった。今日改めてインフルエンザの予防接種ができると案内があったので、定期接種と合わせてお願いした。息子の月齢であれば、本来は期間を空けて2回の接種が望ましいとのこと。身体が小さいのだから1回の接種で十分な免疫が獲得できそうに思えるが、人間の身体は中々複雑なことが多い。

 元々は定期検診と注射を1回だけ打って帰宅する予定だったが、インフルエンザの予防接種が追加になったことで、息子には痛い思いを余計にさせることになった。前回まで複数回注射を受けてきたけど、泣きっ放しではないにせよ、針が刺さった後に時間差で痛みを突然感知したように泣き出していた。今回は2回針が刺さることになるのだから、前回同様泣き出すだろうと妻と2人で予想していた。しかしその予想に反して息子は泣き出すことなく、2回の注射の合間も平然としていた。痛みに耐えられるようになったということだろうか。確かめようがないのだけど、それでも親としては大きな変化だった。泣かないことがいいことだとも思わないが、生まれた時から変化し続けているんだと改めて実感した。確実に成長しているんだと。

 ちょうど今日のような陽射しが眩しい日だった。生まれ故郷のすぐ近くの海岸に息子を初めて連れて行った。波打ち際まで砂を踏みしめながら歩いて行く。波は穏やかに繰り返し押し寄せていた。足元まで流れてきた水が砂をかき混ぜている。もみくちゃになった水に太陽の光が反射してきらきらと輝いていた。名前を決めた時から、彼にずっと見せたいと思っていた景色が目の前に広がっていた。

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