細過ぎて叱られる
初めてアルバイトをしたのは高校生の時だった。確か原則禁止だったと記憶している。原則何とかと言うときは、大抵例外が認められる場合があるということだ。希望者は事前に先生と面談をし働きたい理由を伝え、学校生活と私生活の状況を考慮して最終的に許可が降りるか降りないかが決められる。僕は社会勉強の為に経験しておきたいと言ったが、本当は少ない小遣いを増やすのが目的だった。皆がいくら親からもらっていたのかは知らないが、当時から携帯電話を使っていて料金を毎月渡された小遣いの中から支払っていた。支払いの後に手元に数百円しか残らず、1ヶ月の間にたった数本の缶ジュースで終わってしまう。学校の帰りに小腹が空いても、財布の中身が空っぽで空腹に耐えながら自転車を漕ぎ続けたことが何度もあった。
高校と実家のちょうど中間地点にあったスーパーで働き始めた。今は酒屋になっているが、当時は食料品も扱う店だった。レジで会計をしたり、品出しをしたけど楽しいとは思えなかった。僕が楽しいと思っていなかった仕事を毎日こなしている誰かのおかげで、家に帰ってご飯を食べられるのだけど、初めてのアルバイトは長く続かなかった。大学に進学してからは、仲良くしていた先輩の紹介でとんかつ屋で働き始めた。高校の時のように誰かに事前に許可を取る必要はなかった。授業に支障の出ない範囲であれば誰も文句を言わない。支障が出たとしても、結果的にそれは自己管理の問題になるから誰にも文句は言えない。高校生の時よりも圧倒的に自由な感覚でいた。
通っていた大学の学生の間では、働いていたとんかつ屋は結構有名で、特に体育学部の学生には熱烈なファンが多かったらしい。実際に僕が働いていた時にも、体格の良い柔道部らしき坊主頭の男達が団体で来店することが珍しくなかった。一度に全員が店内で座れないから、空いた席から順番に埋めてもらって座った人から順番に料理を提供していた。丼に山盛りになった豚カツの上に溶き卵が流しかけられた物を次々と運んだ。皆が勢いよく箸でご飯を掻き込みながら、満足気な表情を浮かべていた。時々同じ学部の同級生も来店してくれて、一品を自腹でご馳走したことも何度かあった。僕自身が料理を作っているわけではなかったけど、スーパーのバイトよりは充実した日々だった。美味しい賄いも食べられたからありがたかった。
豚カツと言えば、付け合わせのキャベツだ。東京にいても時々豚カツを食べたくなって出かける店では、キャベツのお代わり自由というサービスがある。単品でサラダも一応あるけど、細切りのキャベツで充分だ。僕が働いていた店でも、キャベツを一緒に皿に盛り付けて提供していた。料理に使う材料が保管してあるバックヤードには、円盤型の刃が回転する業務用のスライサーが設置されていて、それを使ってキャベツを細く刻んでいた。僕は個人的にその作業が好きだった。自分がやることはキャベツをスライサーの入り口に入る大きさに包丁で切って、回転する刃に少しずつ押し当てて細く刻むだけ。ぼーっとしていると指先の皮膚を切ってしまうので気をつけなければいけないが、慣れれば難しい作業ではない。
キャベツを押す力を細かく調整しながら、極力細くなるようにしていた。特に誰かに指示されたわけではないし、具体的にどれくらいの細さがいいという決まりもなかった。余りにも細くし過ぎて、ある時店長から叱られるくらいだった。キャベツの細さを見れば、僕が刻んだであろうことはすぐに分かったらしい。そして細過ぎるから同じように盛り付けても、キャベツの消費量が増えたとも言われた。キャベツを刻むだけでは店を回せないのだから叱られて当然なのだけど、昔からじっと集中して一つの作業を続ける方が自分には合っていると思う。そのとんかつ屋では大学3年になる直前まで、カナダに留学するぎりぎりまで働き続けた。大学を卒業して地元に戻り、そして上京した今でも時々その街には足を運ぶことがある。僕が働いていた店の入り口はシャッターが降りていて、聞いた話によると閉店したとのことだった。
それまで食べた豚カツの中で一番美味しいと思っていたし、今でもその気持ちに変わりはない。二度と口にはできないと分かっていても、思い出は地に足を付けたままで、僕の中から消え去ってしまうことはきっとない。