迷うのはいつも

 池袋に来たのはいつ以来だろう。新型コロナウイルスという言葉をまだ誰も口にしていなかった頃だと思う。渋谷で山手線に乗り換えて向かっていた。下北沢からは遠くはないが近いとも言えない微妙な距離。本屋に行くのが昔から好きではあるけど、実際に行って毎回何かしらの本を買うわけではない。紙の匂いで落ち着いたり、そこにいれば今まで知らなかったことは本を読めば何でも知ることができるんじゃないかと、根拠もなく思えた。そうは言っても片っ端から読んだとして、最初の方に読んだ本の内容をいつまで覚えていられるかはとても怪しい。棚から棚へと移動し続けるのだけど、ただ雰囲気だけ味わって荷物を増やすことなく電車に乗って家まで帰ることの方が圧倒的に多い。

 電車ではなく車にしたのは、なるべく人混みを避けたかったからだ。息子を抱っこ、もしくはベビーカーに座らせたままの電車移動は時間もかかるし、途中で何かあった時に柔軟に動くのが難しいと思った。池袋に車で来るのは初めてだった。東京に住み続ける限り電車でしか来ることはないだろうと思っていた。車だと走りにくそうだし、交通量の多さや頻繁に現れる道路案内板に惑わされて、いつまでも目的地に到着しないのではないかと不安があった。いつも利用しているレンタカー屋で車を借りたら、サンシャインシティを目的地に設定する。水族館があるくらいの事前情報しか持っていなかったけど、12月に会社の健康診断を受ける為に同じく池袋に出かけたことがあった。今日の目的地は偶然にも健康診断を受診した会場に近かった。

 池袋に来たのは、息子の頭の形を診断してもらって必要であれば矯正する施術を受ける為だ。彼は生まれてすぐに呼吸が安定しなかったから、しばらく保育器に入ることになった。既にその時から面会謝絶だったから、保育器の中で彼がどんな風に過ごしていたのか詳しくは分からない。妻が毎日送ってくれた写真や動画を見ながら、息子の姿を想像していた。断定はできないが、送られてくる写真や動画の息子はいつも同じ方向を向いているように見えた。退院するまでの間に既に向き癖が付いていたのかもしれないし、それは考え過ぎなのかもしれない。自宅で一緒に生活を始めてからも、そこまで神経質に向き癖や頭の形を気にしていなかった。離れて暮らしている家族からプレゼントされたドーナツ枕を一時期使っていたが、本人があまり気に入っていないようだったので長くは使わなかった。

 息子の定期検診の為に再度生まれた病院に行った時には、頭の形とその中身は関係がないと言われていた。頭の形が多少綺麗な丸になっていなくても、将来そのことで何か不都合が発生するとも思えなかった。ヘルメットを被って行う治療があると聞いたことがあったけど、そこまでやる必要もないと考えていた。だから頭の形を矯正する為のクリニックがあると教えられても、あまりぴんとは来なかった。僕は医療の専門家ではない。頭の形が人間の成長にどう作用するのかは詳しく知らない。頭の形が生き方を大きく左右するとは今も思ってはいないが、施術を受けること自体はデメリットにならないと判断して申し込みをした。

 サンシャインシティの地下駐車場に車を止めて、スマホの地図を見ながら息子と妻と3人で歩いた。予約した時間よりも前に余裕を持って到着したけど、三密を避けるという理由で近くの公園で時間を潰すことにした。そこに公園があることを事前に知っていたのではなく、近くを歩いていて発見したと言った方が正しい。養生中の芝生が広がっている公園だった。入り口近くには軽食が食べられる店が建っている。いくつか並べられたテーブルでは談笑を楽しむ人々がいた。世界が混沌としていても、人は誰かと繋がって過ごす生き物だと改めて思えた。僕自身も含めて視界に入る人達の誰もが、きっと以前よりももっと素晴らしい世界がやって来るのを待ち望んでいる。

 施術中の付き添いは1人までと言われていたので、今回は妻に任せることにした。終わるまでの間、サンシャインシティ内で興味のある店舗を歩き巡っていた。無くなりそうだった息子のおむつを買って、小腹を満たす為にハンバーガーとフライドポテトを食べた。平日だったからかどの店も混雑していなかった。荷物を持って駐車場に止めてある車に戻って少し眠ろうと思っていたら、施術が終わったと妻から連絡があったのでエレベーター近くのソファに座って待っていた。施術自体はしばらく続けた方がいいとのことだった。月齢によってはヘルメット治療と合わせることでより効果を発揮するらしいが、息子の月齢から始めてもヘルメット治療による効果はあまり期待できないと言われたそうだ。

 少しでも頭の形が今よりも整う可能性があるのなら、もう少し続けてもいいと思った。嫌がってでもドーナツ枕を使っておけばよかったとか、入院中も病院スタッフに向き癖が付かないように言っておけばよかったと思わなくはない。そもそも僕自身がそこまで普段から意識していなかったと思うから、誰かの責任にするつもりはない。施術中に頭を触られて息子はずっと泣いていたそうだ。些細な習慣を意識するだけでそんな思いをさせずに過ごせたかもしれない。でも時間は巻き戻らないから、今からできることをやっていくしかない。そして何度も言うが、頭の形では人生の良し悪しは決まらない。それを決めるのは自分の意志と行動だと信じている。

 余談にはなるが頭の形と身体に現れる様々な症状の関係について、小児科医の間でも意見が別れると説明がされていた。論文によるとそれらは無関係ではないことが分かるとも。なぜ医者によって見解の相違があるのかは分からないが、医学の知識のない素人に論文どうのこうのと言われても判断できるはずがない。見解の相違があるのなら、なぜお互いがそれを埋める働きかけをしないのだろう。僕の知らないところで行われているのかもしれないが、知らされなければしていないと認識されても仕方がないと思う。誰の為の医療なのだろう。自分のことを正しいと信じている人だけ救えばいいのだろうか。いつも迷うのは患者であり親だ。それでも誰かのせいにしたいのではない。最後の最後は自分で決断すると決めているから。

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