大の字で挟んだ煙草
アンケートに最後まで答えるとポイントがもらえる。何ポイントもらえるかは配信される個々のアンケートの内容次第。数ポイントしかもらえないものがほとんどだが、時々100ポイント以上もらえるものも送られてくる。大抵の場合はもらえるポイント数が多ければ多いほど、こちらが答えないといけない設問の数も多くなる。大抵の場合、と言ったのは例外もあるからだ。煙草に関するアンケートは特にそうだ。僕は以前から全く煙草を吸わないから、喫煙習慣の有無を答える質問には毎回、全く吸わないという趣旨の答えを選んでいる。これは僕の想像ではあるけど、仮に喫煙習慣があると答えていれば質問は更にその先も続いていくんだろうと思っている。喫煙しないと答えた直後にアンケートが終了して、ポイントをもらう為に僕が答えたのは最終的には性別と年齢だけということは珍しくない。
今まで全くただの1本も煙草を吸ったことがないかと言われたら、「はい、吸っていません」とは答えられない。習慣にはなっていない。昔、煙草を吸っている友人から試しに吸ってみるかと聞かれ、見よう見真似で咥えたそれに火を付けてもらった。うまく吸っているつもりだったが、口から息を吐いても白い煙は一切出て来なかった。吸いたいと言うならそれは個人の自由だけど、自分にはその必要性が全くないなと感じてそれ以来1本も咥えることすらしていない。いいとか悪いという話ではなくて、僕には煙草以外でストレスを発散したり気分転換する手段があったんだと思う。だから喫煙習慣があるかないかと聞かれたら、以前から全くないと答えるようにしている。
まだ僕が実家に暮らしていた時、夜遅くまで続いていた仕事を切り上げて自宅に戻った。スピードを落とさずにカーブを曲がると、車の足回りが僅かに軋むような音がした。iPhoneから流れる音楽を聴きながら交差点を曲がる。自宅近くの大通りを左折して、家の敷地内に車をバックで侵入させた。もう皆寝ているのかもしれない。リビングの明かりは暗くなっていて、玄関の照明だけが唯一オレンジ色に灯っていた。疲れてぼんやりしていたんだと思う。車から降りて荷物を背負って玄関に向かって歩き出した。何気なく前方を見ると誰かがそこに倒れているのを発見した。しかも大の字になって手足を大きく広げている。家族の誰かかもしれないと思ったが、両親のどちらかではないことだけは確かだった。
瞼をしっかり持ち上げて再度視線を向けた。彼の伸ばした左手の指2本が煙草を1本挟んでいた。そしてその先端はまだ赤々と燃えているらしく薄く煙が立ち昇っている。仰向けで手足を目一杯広げて煙草を吸うとは大胆だなと思ったが、火を付けたままそんなリラックスした姿勢でいられるだろうか。薄着だったから季節は夏頃だったはずだ。どこかで飲んで帰って来た直後だったのだろうか。寝転がっていたのは僕の弟だった。近くまで寄ると両目を閉じてぐっすりと眠っている。いくら外にいても寒くないとは言え、このままでいて快適なわけがない。肩を叩いて彼を起こし布団で寝るように伝えた。煙草の火がそのままだったことも伝えておいた。
弟とは一時期喧嘩が絶えなかった。学校に毎日通って多少なりとも勉強して、ある程度の成績を残すことが大事だと思っていた自分にはない価値観を彼は持っていた。その価値観をどのようにして家の外で養ったのか詳しいことは分からない。兄弟だからと言ってお互いの全てを知っているわけではない。ただ当時の僕は、自分とは違う彼の価値観を受け入れることが簡単にはできなかった。僕は自分がこうするべきだと思うことを弟に押し付けようとし、彼はそれに抵抗する。2人とも少しずつ身体が大きくなって力も強くなるにつれ、兄弟喧嘩も激しくなった。でもある時僕が怪我をして以来、喧嘩はピタッと無くなっていた。そのまま喧嘩が続いていたら、きっと取り返しの付かないことになっていたかもしれない。激しさを増していく兄弟喧嘩を近くで目にしていた母が、その光景を見て怖いと感じたと話していたことも覚えている。
想像力が足りていなかったんだと今は思う。優しさとはまた違う。兄弟と言えど同じ人間ではない。父と母が同じでも人格は別々だ。人格が別々であれば価値観も全く同じではない。もっと早く気付くべきだった。でも早く気づいていたら、葛藤もなく自分自身について深く考えることもなかったと思う。どうして自分との違いに苛立つよりも、なぜそう考えるんだと疑問を持つこと。自分なりに理由を考えること。そしてもし自分にできることや変えられることがあるのなら行動することだ。お互い親になった今は、それぞれの生活や考えを尊重して暮らしている。元気な姪っ子を連れて遊びにも来てくれる。彼が僕の弟で本当に良かったと心から思っている。