生まれた奇跡

 春はもうすぐ。コロナウイルスのニュースが連日報道されている中でも、季節は確実に繰り返していく。暖かくなってダウンジャケットはもういいかなと思っていたら、急に寒くなったりする。花粉が飛び始めているのか、目と鼻が痒い気がする。マスクで外を歩く人も寒かった頃より数が増えた。

 花粉が飛ばなければ、好きな季節は春と答えるかもしれない。部屋に置いてある空気清浄機を「花粉モード」に切り替えて運転している。静かなタイプだが、時々花粉を吸い込むのか少し大きな音を出している。鼻水がほとんど出ていないのでまだマシなほうだ。鼻水が出始めると、喉まで鼻水が降りてきて痛くなってしまうから。そうなると仕事に行くのも億劫になってしまう。

 花粉症の話は置いておいて、春といえば出会いと別れの季節と言われる。学生だったら入学式で新しい友人に出会うだろうし、卒業式では親しい友人との別れが待っているかもしれない。僕はそこまで感動的なエピソードはないのだが、もうひとつ、春は「おめでとう」と「ありがとう」の季節とも言えるのではないかと思う。幼稚園から小学校、小学校から中学校、そして義務教育を終えて高校や大学に進学したり就職するタイミングでもある。入学式で新しい生活の門出を祝い、卒業式ではお互いの明るい未来を誓い合う。「おめでとう」と「ありがとう」の言葉達が親と子、友と友の絆を照らし優しく包んでくれる。

 産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。学校に通わせてくれてありがとう。節目ごとに伝えてきた言葉達。今まで僕が伝えていた親に、今度は自分がなる番だ。本当に感謝しているから「ありがとう」と言うのだけど、自分が生まれる以前に母親と父親に訪れる変化や悩みや苦しみを実際に今体験している。そしてその苦痛以上に待ち遠しい気持ちが高まっている。人間がひとり生まれて生きていることがいかに特別で奇跡的なことなのかを考えるようになった。人間は機械ではないから、子どもを「つくる」という表現では収まりきらない出来事だと思う。

 そして生まれてくる子どもに対面した時に初めて、心の底から「生んでくれてありがとう」と父と母に伝えられるような気がしている。

 暗いニュースも時々ある世の中。願い叶わず命を落としてしまう人もいる世の中。生きていればいいことばかりが起こるとは限らない。きっと、いいことも悪いことも自分の糧にして進み続けるのが「生まれて、生きる」ということだから。生まれた奇跡を抱いて、僕はこれからも歩き続ける。

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