海老フライ山盛り
何を食べたいかと聞かれる。母は結婚してからしばらく専業主婦をやっていて、掃除や食事の準備で忙しくしていた。そのおかげで父は安心して外に仕事に出かけることができていたんだと思う。しかも僕が結婚した年齢よりも10歳以上若かった。僕がもし同い年だっとして今の状況をやりくりできているかと考えると、壮絶という言葉が全く大袈裟ではないくらいに思える。若くして過酷な日々の中で奮闘した母の手料理は僕の好物だ。東京に来てからはほとんど食べることがなくなってしまったけど、海老フライが一番のお気に入りだ。お金を出せば東京でそれを食べるのは簡単ではある。数千円もする高額な海老フライを食べたこともあるけど、満足感で言えばやはり手作りが一番だと改めて思った。
明日の朝には東京へ戻ることになっている。最初からそのつもりだった。あっと言う間に三が日が過ぎ去ろうとしていた。今夜は母が海老フライを用意すると朝から言っていた。最近はあまり手の込んだ料理をすることが少なくなったと事前に聞いていたから、多少無理をしてくれるのかなと少なからず期待していた。美味しい定食屋さんの店頭で、調理済みの揚げ物を売っているらしい。その店の海老フライを買ってくるとのことだった。手作りじゃないんだ、と全く思わなかったかと言えば嘘になるが、それで充分だ。夕飯まで時間があったし、年が明けてからまだどこにも初詣に出かけていなかったので、近場で人の少ない場所に行くことにした。
ごつごつとした石段を一歩ずつゆっくりと昇っていく。スニーカーの底の凹み具合で石の丸みを感じ取っていた。元旦の午前中には、親戚一同で数台の車に別れて出かけていたけど、今年は全員が同時には揃わない。来年こそはと考えている間に階段を昇り切っていた。賽銭を投げた後に手を合わせる。その神社では甘酒を配っていて、得意ではないけど茶碗1杯頂くことにした。形がほぼそのまま残ったままで柔らかくなった白い米粒がたくさん沈んでいる。黄色い塊がその中に浮かんでいるが、香りと味から察するに生姜で間違いないと思う。一口啜る度に生姜の黄色い塊がほどけていく。黄色が全体に広がり出して、甘味の中に爽やかな刺激が混じり出す。それでも僕には最後まで口に甘さが残る1杯だった。
その後もまだ太陽が高く、時間が余っていた。そもそも最初から時間の制約などなかった。山手の方にある大きめの神社に向かった。前述の神社の駐車場はがら空きで、すぐに車を停めることができたけど、次は駐車場に辿り着くまでに時間がかかった。車が何台も連なって列を作っていて、全く動かないわけではなかったが小刻みに止まって進むを繰り返していた。道の両脇の樹木が高くそびえ立ち始めた場所で、ようやく駐車場に入ることができた。地面に貼られたロープで簡単に区分けされた駐車場に車を停めてドアを開ける。山裾で標高が実家のある場所よりも高いのだろう。明らかに体感温度が下がったのが分かる。初めて来る場所ではないはずだが、そこから先どれくらい歩けばいいのか分からず不安になった。どれくらいその寒さの中を身体を強ばらせながら歩けばいいのかと。
屋台が両脇に並んだ道をしばらく歩いていく。すると前方の参拝を待つ人々の行列を目の当たりにして、僕は引き返すことに決めた。防寒具を着せていても、生後半年の息子とじっと待ち続けるのには耐えられそうにない。一応初詣自体は終えられたし、東京に帰った後に氏神に参拝することもできる。息子に着せた防寒具を腕で押さえながら、来た道をまっすぐ戻った。途中で少しだけ買い物をして実家まで戻る。リビングのテーブルの上には、トレイから溢れ出んばかりの海老フライが置かれていた。食べる人数よりも遥かに多い本数が盛られているように見えたけど、実際はきちんと適切な分量になっているとのことだった。風呂に入って息子を寝かしつける。妻と交代しながら夕飯に海老フライを食べた。特別なことは何もしていない。特別なことかどうかなんて考える必要はない。ありふれた、けど特別な1月3日が過ぎ去っていく。