次こそは彩華
実家に帰省したことに関しては何も後悔していない。この世の中には絶対と言い切れることなど何一つないことは分かっている。どれだけ自分が気を付けていても、不可抗力というのが多かれ少なかれ働く。自分達にはコントロールできないこともある。それでも自分達の生活の状況と、行き先の状況から判断しての結論だった。今のところ結果的には体調に問題はない。家族の皆が細心の注意を払って過ごしている。何事もなければ行きたい場所はいくつかあったのだけど、今年はそれもお預けにする。自分達以外の誰かに帰省を推奨する文章ではない。全ては自己責任だ。誰の為の政府なのかがもうよく分からない。誰かが守ってくれるとも思えない。いつだって変わらない。自分達の身は自分達で守るしかない。
奈良県にある彩華ラーメンには、実家に帰る度に必ずと言っていいほど通って食べていた。でも2020年は記憶が正しければ一度も食べに行っていない。通わなくなったからと言って、その味を忘れることはない。食べたいと思う気持ちが失せることもない。大学生の時に初めて食べてから既に10年以上が経過した今でも、ラーメンの中では一番美味しいと思っている。もっと正確に言うと、似たようなラーメンがほとんど見つからなくて自分の中では彩華ラーメンという一つのジャンルとして認識している。東京都内でそれらしきラーメンを提供する店舗があると聞いて出向いたけど、思っていた味とは程遠かった。あまりにも食べたいから、スーパーに売っている食材で作ることもした。似せようとすればするほど、やはり何か決定的な違いがそこにあった。それが何かを説明するのは難しいのだけど。
息子が生まれる直前に両親がお守りを送ってくれた。安産を願ってのことで、出産直後もすぐには顔を見ることが叶わなかった。そのお守りは自宅の書棚で保管している。お寺に返しに行きたいが、そのお寺も彩華ラーメンと同じく奈良県内にある。安産の報告とお守りを返した帰りにラーメンを食べるつもりでいたけど、今回はどちらも見送ることにした。残念かと言われればそうでもない。きっと彩華ラーメンはこの先も繁盛し続けると僕は思っている。かつては薄暗い照明が灯って、店舗自体も今よりずっと狭かった。でも最初に食べた時から、この先もずっと食べ続けるだろうと予感するくらいの味だったから、必ずまた食べる機会は巡ってくるはずだ。
帰省したからと言って、何か普段できないようなことをするわけではない。普段付きっきりでいると言っても過言ではない息子の面倒を見てくれる人が、自分達以外にもいるというのはとても助かる。敢えてそういったメリットを回避して東京で暮らしているんだとも言える。自分で決めたことだからと割り切ってはいても、数日だけでも環境が変わると新鮮な気持ちになる。僕の気持ちが揺らぐことはないのだけど、両親が多かれ少なかれ寂しがっているであろうことは心の隅に置いてある。僕なりの形でとしか言えないが、2人にはこれからも恩返しをしたい。
寝泊まりしている部屋には雨戸が付いている。僕らが寝ているのもお構いなしで、昔はがらがらと朝から母が勢い良く開けていた。朝は大体7時にカーテンを開けて外の光を部屋に入れているから、同じ時間に僕が雨戸を開けた。洗濯機の横の勝手口からサンダルを履いて外に出る。その勝手口では昔、弟と殴り合いの喧嘩をした時にガラスを割ってしまって怪我をしたことがあった。ガラスで腕を切ってしまい、血が滴るほどだった。布団の上で横になって妹に止血してもらったっけ。そんな思い出がたくさん詰まった実家も、日常的に出入りする人の数は一時に比べれば少なくなった。いつか会えると思っていても、本当に会えるかどうかは誰も約束してくれない。だから自分で考えて行動するしかないと思っている。
亡くなった祖父に手を合わせることができた。もう少しだけ待っていてくれたらと何度も思ったけど、祖父自身が人生を全うできたと思っているのならそれが何よりだ。どんな時代にあっても、生き続ける日々の中にこそ希望は必ず潜んでいる。