仕事納め
今日の1日はまだ始まったばかりだった。12月の終わりまでもう数える程しか残っていない。寒さは日増しに厳しくなって、街を歩いていると間もなくやってくるであろう新年の雰囲気をどことなく感じている。年内の仕事は今日が最後だ。手を抜くわけではないが、仕事に手を付け始めてすぐにもう終わらせてしまいたい気持ちになっていた。給料をもらって働いている人達は、皆同じような気持ちになるのだろうか。そんなことはないだろう。どうしようもなく仕事を楽しんでいるとしたら、年末だろうが年始だろうが関係なく終わってくれるなと願う人もいるはずだ。そして自分にはそんな風に思った瞬間が今まであったかなと思い返してみる。
建物の中で明かりが灯っているのは、僕が作業をしている部屋だけだった。学校の職員室にあるような灰色のありきたりな机が並べられ、その上に日誌を広げて文字を書き続けていた。その場所からは建物の玄関がよく見えた。駐車場には1台の車も停まっていない。数える程の街灯の明かりも、今は消えてしまいよく見えなかった。僕以外にはもう誰もいなかった。作業を手伝ってくれる人もいない。タイムカードの数だけ他の従業員はもちろんいたのだけど、彼らの姿を最後に見てから既に1時間以上経過していた。僕はいわゆる残業中だった。時間を掛ければ必ず終わると信じて疑わなかった。いや、疑わなかったわけではない。自分がやるしかないと根拠もなく思い込んでいただけだった。
終わらせるべきことが何一つ終わらないまま時間だけが過ぎていった。僕は諦めて玄関の鍵を閉め車に向かった。エンジンを掛けて走り出す。翌日は仕事が休みだったから映画でも借りて観ようと思って寄り道をする。大通りを自宅とは反対方面へ向かう。遅い時間帯ではあったけど、店の明かりが眩しかった。店内に入り目当ての映画を探し当てたらレジで会計を済ませる。店員の態度は過不足ない感じだった。レンタルショップの店員にそこまでの接客を期待はしていない。何より遅くまで働いた後で疲弊していたから一刻も早く家に帰って、横になりながら映画を観ていたかった。仕事のことなど忘れてしまって眠りたかった。自分の側にいる人達を楽にさせるのが働くことだと言うけれど、当時の僕は誰かを楽にさせることができていただろうか。
今年の春先から在宅勤務になって、おそらく来年になっても春までは状況が大きく変わることはないと思っている。できることならこのままずっと在宅で働き続けられたらと願ってはいるけど、そんなに簡単に今までの慣習が一掃されるとも考えづらい。本当に一掃しなければならないのは、自分以外の誰かが理想の環境を整えてくれると思う気持ちだ。そんなことを考えながらキーボードを叩き続けていた。1日の最低限のノルマが設定されている。仕事納めだからといってそこは妥協できない。妥協させてくれない。普段と比べたら全然集中していなかったけど、今年最後の1日は気持ち良く終えたいから液晶を睨み続けていた。
夕方定時になってパソコンを閉じた。年末年始を挟んでまた仕事が再開される。でも今はそんなことは押し入れの中に追いやるようにして眠りたい。明日は早朝から遠出をすることになっているから、風呂で身体を温めて早々と布団に潜り込みたい。まだ太陽が明るい間に、洗った米をセットし味噌汁も作っておいた。冷凍庫から作り置きしていたカレーを解凍して鍋で更に温める。ご飯を盛ったら火が通ったルーを流し入れて、箸とスプーンを小さなテーブルの上に置いた。東京に来ていた知人に数年前に譲ってもらった四角いテーブルだ。4つある折り畳み式の脚の一つは内側に曲がっていて、机が安定していないように見える。でもそう見えているだけで実際はそうではないのだが。
寒空の下で下北沢の街を歩いていた。今年あったことを思い出しながら12月の空気を吸い込んだ。あと数日で2020年は終わり、二度と戻ることはないのだ。