2020年最後の土曜日
よく考えたら今日は2020年最後の土曜日だ。次にまた土曜日を迎える時には既に2021年になっている。それがどんな1年の始まりになろうとも、2020年の土曜日は今日が最後だ。今までこんなにたくさんマスクを購入した年はなかったし、何度もアルコールを手に付けて揉み込んだこともなかった。手洗いとうがいだけは以前から習慣としてやってはいたけど、それらも更に強い意識を持って欠かさないようになった。僕だけではなくて他の人達も同じような意識でいるからなのか、今年はインフルエンザの患者が例年と比べて極端に少ないそうだ。
でもインフルエンザの患者が少ないからと言って、皆が穏やかな気持ちで暮らしているとは到底言えない状況になってしまっている。毎日夕方4時頃になると必ずネットニュースの見出しを確認して、東京のコロナウイルスの感染者数を知るようにしている。2019年が2020年になってからは毎日の数字に一喜一憂している自分がいた。でもそれにも慣れてしまったのか、今は何百人と言われても以前ほどの気持ち的な衝撃はない。もちろん何も感じないわけではない。ただ数字だけを見て一喜一憂している状況ではもうなくなってしまっているんじゃないかと思っている。
それがどんなに不安を煽るような状況でも、日々の生活は続いていく。息子のおかげだと思っているが、朝起きる時間が以前と比べてかなり早くなった。朝は苦手だと思っていたけど、目が覚めると朝の方が頭がすっきり働いている気がする。布団から出た直後は眠たいけど、用を足したりシャワーを浴びたりしている間に身体の隅々まで血が通い始めるような心地になる。洗濯機のドアを開けて昨夜から乾燥してあった衣服を取り出す。そして代わりに前日の自分達の洗濯物を機械に突っ込む。スイッチを押すと中の洗濯槽が回転し始めた。正面から見て左上にある引き出しを開けて、蛇口から出た水が注がれる音が聞こえるまで待ってから液体洗剤を投入するのだ。
先に取り出した洗濯物は布団の上に広がっている。僕はあぐらをかいて布団に座り、タオルやシャツやらを順番に畳み始める。壁際で寝ていたはずの息子の元気な声が背中から聞こえる。目をぱっちりと開いてこちらを無言で見つめている。もうちょっと寝ててもいいよと言いながら、でも寝る気はないよなと諦めて彼を自分の布団の上に移動させた。ついでに小さな鈴と人形がいくつか括り付けられた手作りのおもちゃを近くに置いて、洗濯物を片付けながら様子を伺っていた。最近は仰向けに寝かせてもすぐに寝返りをするようになっている。それが布団の上でもウレタンマットを敷いた床の上でもお構いなしだ。転がってぶつかると危険な物はないようにしているけど、これからもっとあちこち動くようになると考えると楽しみと不安が半分ずつだ。
いつも昼食を食べている時間まではまだまだ余裕があった。日課の家事を午前中の早い時間帯に詰め込むと、その後は気持ち的にもゆったり過ごせる。外に干しても中々乾かない洗濯物も、薄手の衣服なら朝から干しておけば夕方には取り込めるくらいになるし、乾燥機を回すにしても夜まで時間がたっぷりあるので次の日には充分間に合う。抱っこ紐で息子を担いだら、親子3人で近所を散歩した。今日は空の青が清々しい。雲もほとんどなかったし、何よりこの時期にしては暖かった。ボストンバッグを探しにお店に寄ったが、希望していた商品の取り扱いがなかったので、バッグは諦めてそのまま世田谷代田方面まで足を伸ばした。
代田に向かう途中には、最近建てられた新しい学生寮がある。ガラス窓が多用されていて、僕がイメージする学生寮よりもかなり清潔感漂う建物だ。学生が住むのならばこういう場所だ、という固定概念のような物から解き放たれたようなその学生寮が、これからどんな風に賑わっていくのかいい意味で全く想像できない。東京らしいと言えば東京らしい。緩やかな坂を登り続けると世田谷代田の駅まで辿り着ける。駅の向こうの、そのまたずっと向こうまで街は続いている。見上げた空の青も、どこまでも伸びやかに続いている。