おじちゃん、がんばってるよ
カナダ留学に出発する直前。おじちゃんが小遣いをくれたと母から連絡があったので、お礼を兼ねて電話した。ほとんどおじちゃんに電話することがなかったので、とても緊張したことを覚えている。着信音が数回鳴っておじちゃんが出た。小遣いのお礼を言った。「がんばってこいよ」と励まされ、おじちゃんとの電話が終わる。それが、おじちゃんから聞いた最後の言葉だった。
おじちゃんも、大学生の時は東京にいたらしい。東京のどこに住んでいたのかはわからない。おじちゃんが昔の話をしたことはほとんどなかった。東京から地元に帰ってくる時にはいつも子ども用のおもちゃをお土産に買ってきてくれていたらしい。おじちゃんは僕が小さい頃からよく遊んでくれた。両親がまだ海辺の町に住んでいた頃、夏は海パン姿で一緒に海に入って、僕が乗ったゴムボートを引っ張り回して遊んでくれた。
おじちゃんが結婚してからは、自分の兄弟だけではなくいとこも増えて親戚で集まるととても賑やかだった。休日の昼ご飯には、よくマクドナルドに連れて行ってくれた。自分の両親はあまり外食に行くことがなかったので嬉しかった。ハンバーガーを食べた帰りにレンタルショップに寄って、アニメのビデオを借りてみんなで見るのがお決まりだった。
祖父母の家に泊まった時には、おじちゃんが好きだったテレビゲームで夜遅くまで遊んだ。マリオパーティーやマリオカートで盛り上がる。正月に親戚が集まると誰からともなく大人達がトランプで七並べを始めた。少額を賭けて遊んでいるおじちゃん達に混じって、子どもだった自分も大人の真似をして100円玉や10円玉を小さな財布から取り出して参加していた。
僕が不登校で学校に行かなくなった時期に、家を出て夜遅くまで帰らなかった時にはあちこち探してくれていたそうだ。偶然にもおじちゃんに見つかって、家まで送ってもらう時の気まずさは今も忘れられない。口数は多くないひとだったけど、心配してくれていたんだと思う。
留学生活が終わり帰国した春。そろそろ顔を見せなきゃなと思っていたある日。何の前触れもなく「おじちゃんが倒れた」と電話があった。電話があった次の日には実家に帰り病院へ向かった。おじちゃんはベッドに横になって静かに目を閉じていた。呼び掛けても返事はなかった。間違いなく呼吸はしている。ただ呼吸しているだけだった。
その後、おじちゃんは幾つか病院を転院して息を引き取った。最後のほうは、呼びかけると微かに僕の名前を言い返すように口を動かしていた。本当はすぐにでも「帰って来たよ」と顔を見せに行けばよかった。いつでも行けるなんてのんびりし過ぎていた。ためらう必要なんてなかったのに。自由に動かない身体で横になって、僕の目をまっすぐ見ていたおじちゃんの目にはどう映っていたんだろう。
まだしばらくは会えそうにないけど、ありがとう、おじちゃん。おじちゃんの「がんばってこいよ」が、今も僕の背中を押しています。