再開

 2020年が始まってから間もなく、継続していた筋トレのペースが少しずつ落ちていた。昨年末はまだネットニュースの1記事でしかなかった不穏な空気に、何となく僕は嫌な感じがすると思って、ドラッグストアでマスクを数箱買って来たことを思い出す。寒さの厳しい時期になるとその不安は確実に大きくなっていき、今や世界を大きく変えるまでになってしまった。僕の筋トレと直接関係はないと言われそうだが、どこか遠くの場所で起こっている出来事だとは当時から思えなかったし、それが何か僕の意欲のようなものを奪っていくような気がしていた。

 月を追うごとに更に筋トレを行う頻度は減っていった。何日も連続でやらない日が増えてきて、やった日数よりもやらなかった日数の方が多くなった。月の半分程度は何とかできていたのが、そのうちに月の3分の1にまで減ってしまう。それでも何とか毎月数日は行っていたが、最終的には1ヶ月全く筋トレをしないという月が出てしまった。鏡を見る度に体型が変わっていないかを確認する。息子を抱っこしたり肩に担いで遊んだりしているから、目立って腕が細くなったとかはない。ただ気持ちの上ではそうなっているんじゃないかと煮え切らない気分でいた。

 時間を全くかけずにトレーニングができたら最高だ。トレーニングしている時間が24時間に含まれないなら、1日が27時間くらいに増やせそうだ。でもそんなことは起こりようがない。良くも悪くも時間を積み重ねることでしか、物事は動き出さない。人間も同じだ。母親のお腹にいる時から時間をかけて成長していく。お腹から出てきた後も、時間をかけながらできることを少しずつ増やしていく。そしていつかはその肉体と精神で可能な限りの時間を使い切って死へと向かうことになる。

 時間を止められなかったとしても、時間の使い方なら自分自身である程度はコントロールできる。むしろ意識的にそうしていかないと後悔することになる。どういう風に生きていきたいかというのは、要は自分に与えられた時間をどういう風に使いたいかということだ。人生一度きりと言うけど、それは過ぎた時間は二度と戻らないという意味だ。時間を止めることと時間を巻き戻すことだけは、少なくとも僕が生きている間には実現しないかもしれない。もしかしたら可能性はあるかもしれないが、僕はそうなる前提では生きられない。

 時間を巻き戻すことで何かをやり直せるとする。やり直した時点から時間が経過する間に、きっと僕は再度時間を巻き戻せたらと思うに違いない。切りがなくなってしまう。完璧な軌跡を求める続ける限り、時間を巻き戻し続けないといけなくなってしまうだろう。巻き戻してしまったら、失敗や苦労もなかったことになってしまう。時間を積み重ねたことがなかったことになってしまう。僕はそんな状態と生きることを同義としては捉えられない。巻き戻せないから後悔しないように過ごす。過去には戻れないし、現在を飛ばして未来にも行けない。他のどこでもない、今ここで全力を尽くす。2020年はまだ終わっていない。

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