和を乱す
「ずっと前から言おうと思っていたんですけど」という言い方をする。小学生の時にクラス全体で話し合いをしながら意見を求められた時に、僕はほとんど毎回そう切り出していた。ずっと前から思っていたのなら、なぜ最初に思った時に誰かに話さなかったのかと、今思い出すと疑問に思う。自分が思ったことを口に出すことで、周りの人間との関係性が変化してしまうことを恐れていたのかもしれない。正直な気持ちを小学生が打ち明けたところで、それで何か致命的に損なってしまう人間関係など当時の僕にあったとは思えないのに。
僕が自分の思い通りに生きたいと常々考えている理由の一つは、当時抱いていた恐れに争う為なんだと思える。当時から僕は他人の中の自分の印象に関係なく、思い通りに振る舞おうと頭では考えていた。そうしたいと思い続けてはいたけど、実際に何か行動に移したことは長い期間なかった。中学生の時に、遊んでいる途中で同級生をひとりベランダに閉じ込めて教室に入れないという結果になってしまった。先生に問い詰められた時には「わざとじゃないです」と何度も同じ答えを繰り返していた。意図的かどうかということに自分の意思が無関係とは言えないけど、結果的に相手が嫌な思いをしたのなら意図的だと言われても仕方のない部分はある。
不登校になったのは、僕なりの抵抗する行動だった。居心地の悪いと思った空間からの脱出。そして自分が居心地が良いと思える場所だけに属したいという意思。そしてうずくまっていればきっと誰かがそんな場所を与えてくれると。当時僕が抱いたその気持ちが正しかったかどうかは分からない。誰かが居心地の良い場所を与えてくれると思っていたのは、他力本願過ぎたなと少し反省している。かと言って中学生だった当時の自分には、自主的にそういった環境を見つける為のエネルギーのようなものはなかったと思う。
実家を出て東京で生活し続けている。後悔は何一つない。自分の親の近くにいられないということは、事実として向き合わなければならない。それでも今僕は自分の思い描いた通りの人生を過ごしていると強く思える。東京に来なければ妻と出会うことはなかったし、子どもが生まれて楽しい日々も過ごせていなかった。必ずしも毎日が何事もなく平穏とは言えないけど、そもそも生きていれば何かが起こり続ける。長男として一般的に世間的に求められるであろう役割を全うすることはできない。それによってこれまで均整の取れていた輪を乱すことになったとしても。でも輪は乱れながら形を変えて、今もずっと残り続けている。繋がり方は一つだけではないはずだ。繋がっていると確かに感じられることの方が僕は大切だと思う。そして僕は今この瞬間も、その繋がりを感じ続けている。