空が半分
朝目が覚める。起こされたと言った方が現実に近いかも知れない。息子の声で目を開けたというと、何だか彼にいくらか責任があるみたいで嫌な言い方になってしまう。夕方風呂に入って授乳したら、次の朝までは僕が彼を抱き上げることはほとんどない。だから早朝に彼の声を聞くのは、自分のことを呼んでいるような気がして嬉しいのだ。嬉しいからすぐに身体が起き上がっておむつを変えられるように思うが、実際は中々身体が言うことを聞いてくれないみたいだ。仮住まいではお互いの頭を向かい合わせにして寝ているから、目が覚めた彼はいつも背中を反らせてこちらを見ている。
紺色よりももう少し暗めの青のカーテンを引いた。向かいの建物のベランダには既に洗濯物が干されている。そしてその向こうにも建物が立っていて、手前よりも背が高い。窓から見える空は雲ひとつなく、真っ青だった。気温は低く、空気が澄んでいるのが分かる。都会の空気が澄んでいるわけがないと思う人もいるかもしれない。山奥深くの人間が立ち入らないような場所と比べれば、確かにここの空気は不味いと言えるだろう。ただ住み慣れた場所という安心感と、住みたいと思っている場所に住めていることへの満足感はここでしか得られないと思っている。
仮住まいのベッドフレームはマットレスの大きさよりもかなり余裕がある。脇に並べてあったクッション達はクローゼットの中に移動してもらった。木製の小さな机もどかして、そこに子ども用の布団を敷いた。2週間経った今日の夜が、この部屋で過ごす最後の夜になる。次にもし利用する機会があるとしたら、その時は水道工事の為の一時避難ではなくて、もっと何か楽しい動機で使いたい。とは言っても、息子はどんどん大きくなるし家族の人数が増えると選択肢には入らないだろう。音量を3段階の最小にしたのに、寝ている息子を起こすのに充分すぎる大きさの音を鳴らすドアホン。縦に2つ並べられたコンロは、個人的には横並びの方が使いやすい。
浴室に乾燥機が備わっていたのは助かった。ベランダに干すのが億劫だったけど、朝に乾燥し始めれば夕方には乾いていた。乾燥機から出る熱風は、浴室内の蛇口から出る水を数秒だけ熱湯に変えていた。もちろん僕が捻ったのは青い方だ。文句を言っているわけではない。完璧な建物や物件などないということだ。そしてその不完全さは、過ごした場所が僕の記憶に留まる為のフックのような役割を果たすことになる。更に場所の記憶だけでなく、その時に考えていたことや反省すべきことまで思い起こさせてくれるはずだ。僕はマットレスの柔らかめの感触が嫌いではなかった。姿見は場所を取ると思って、ベッドの下に倒して入れておいた。
廊下の明かりを消した。夕飯で使った食器がキッチンに並んでいる。洗い終わった後の水滴はまだ表面に残っている。そして明日になればそれらは棚にしまわれ、僕がまたそれらを取り出すことはないだろう。今夜は眠ろう。始まりがあれば、必ず終わりがあるのだから。