在りたい自分

 『Bohemian Rhapsody』を初めて聴いたのは、もう思い出せないくらい昔のことだ。洋楽を聴き始めてからは、手当たり次第にレンタルショップで洋楽のCDを借り続けて、パソコンに取り込み続けた。毎日同じ曲を聴くわけではない。むしろ久しぶりにQueenの曲を聴きたくなったのは、フレディ・マーキュリーを筆頭にした彼らの活躍を描いた映画を観たからだった。曲のタイトルと同じ名前の映画。公開当時から話題にはなっていたが、なぜかその時は映画館に足が向かなかった。今思うと映画館の巨大なスクリーンならもっと楽しめたかもしれない。

 僕はアーティストとしてのQueenしか知らない。CDのジャケットや冊子のページでポーズを決める彼らの姿しか知らない。普段彼らが何を考えてどんな暮らしをしていたかを知る術はない。そしてそれらの事実を映画を通して垣間見ることができるかと言われれば、できるかもしれないしできないかもしれないと答える。僕は基本的に芸術というのは作者の個人的な解釈が多かれ少なかれ混入したものだと思っている。そして映画もその芸術作品のひとつだ。だから本人の口から直接語られていない以上、映像や音声で示されている事柄全てが真実だとは断定できない。そして例え本人の口から語られたとしても、Queenはひとりではないのだからそれぞれのメンバーの視点は必ずも同じとは言えない。

 真実かどうかを思い悩むよりも楽しむ為の作品と思って、もし仮にそれらが全て真実だったらと考えればいい。自分が登場人物の立場だったらと物思いに吹けるのもいいだろう。自分の現状に当てはまるような要素があると思えるなら、そして何か解決したい問題を実際に自分が抱えているのなら何か糸口が見つかるかもしれない。もっと単純に、彼らの音楽のルーツや創作過程、そして人間として苦しみ葛藤しながらも、圧倒的なパフォーマンスで人々の注目を攫っていった過程を目に焼き付けるのもいい。スーパースターだと思っていた人間が、実は程度や内容の差こそあれ人知れず悩んでいたこと。華々しい活躍とは相容れないほどの恵まれたとは言えない生活環境。僕達が視線を向けている彼は、自分達と同じ人間なのだと思い知らされる。

 理想の生き方とは何だろうか。中学生の時から何となく考え始めて、今も考え続けているけど、言葉にできるたったひとつの唯一の答えは持っていない。ひとつだけでなくてもいいのかもしれないが、なるべくならすっきりしていた方がいい。ラミ・マレック演じるフレディのように貪欲に生きて自分のなりたい人間になる。それはひとつの理想の生き方ではないかと思った。その生き方を全うする為には一体何が必要か。それはきっとどこまでも、他の誰よりも自分のことを信じることではないだろうか。どこまでも深く自分の内面に向かって潜り続ける意志ではないだろうか。

 あまりにも深い所まで行ってしまって本来の自分の姿すら見失ってしまうことだってある。だから頭上を見上げて上空から射し込む光の煌めきを時々確認しながら進むのだ。

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