美味しいの次

 仮住まいのキッチンは、お世辞にも広いとは言えない。一般的な調理器具は一応揃っているが、やはり使い慣れた物ではないから何となく使い辛い。一時のことだから苦にはならないけど、使い辛いからと言って自炊を放棄する気も全くないのだ。自分が作った手料理を、美味しいと言ってくれる人が側にいることはとても幸せなことだ。自分が食べて美味しいことも一応は目指しているが、自分以外の誰かが満足そうに食べているのを見ている方が楽しい気分になる。次にまた美味しいと言って欲しいから、何を作ろうかとぼんやり考えている。

 寒くなるこの時期、スーパーの鮮魚コーナーには大粒の牡蠣が並び出す。鍋にしたり醤油とバターで軽く炒めるのも美味しい。ただし自宅に鍋がないのと、醤油とバターで食べるのは何度かやっているから、今日は違う調理方法を試したくなった。過去の一人暮らしの期間でも挑戦したことのない料理を選ぼうと思って、ドラッグストアに出掛けた。アルミホイルを買おうと思っていたけど、ドラッグストアでなくてもスーパーでアルミホイルくらい買えるだろうと思い直して、何も買わずにスーパーへ直行した。

 お歳暮関連の商品が入り口横に並んでいた。その前を通って目当ての牡蠣のところまで移動した。生食用でもいいが、加熱調理用の牡蠣の方が身がふっくらしていて旨味が詰まっていそうだった。最初から火を通すつもりだったので、1パックをカゴに入れて先程ドラッグストアで買わなかったアルミホイルを探した。サランラップの横に置かれたそれをひとつ取って、付け合わせの野菜を選びに行く。ニラともやし、そしてキムチとバターも合わせて購入した。ニンニクもたっぷりと使いたかったから、3玉セットの物を買い足した。

 手の込んだ調理はしていない。牡蠣を洗って下茹でする。冷ましたらキムチと軽く和えて冷蔵庫で休ませる。ニラを刻んでニンニクは1玉の半分くらいを潰しておいた。アルミホイルを広げたら、ニラともやしを敷き詰めて牡蠣とキムチを乗せる。ニンニクとバターを添えたらアルミホイルで包む。思っていたよりも中身のボリュームが増えてしまって、溢れるかと思ったが何とか収めることができた。トースターのトレイにアルミホイルの包みを乗せたら、つまみを回す。窓から覗いていたけど、熱源の色が変わらないので確認したらコンセントに繋がっていなかった。電子レンジのコンセントと入れ替えて再度つまみを回すと、じわりと赤みを帯びて温まり始めた。

 鍋やフライパンなら火が通って焼けるうちに音がするけど、トースターの中の包みからは何も聞こえてこなかった。とてつもなく熱いことだけは分かるし、目で見えないだけで牡蠣にとっては灼熱のような熱さであろうことは想像がつく。10分間加熱し続けたが、念の為にご飯が炊き上がる5分前に合わせて、追加で更に加熱した。にんにくとバターのいい香りが部屋に微かに漂い出した。ご飯が炊けた音に続いて、あのチーンという馴染みの高音が続いた。

 ご飯と味噌汁を装って、包みを恐る恐る広げる。部屋の照明を息子が眠りやすいように落としていたから、開けた瞬間に湯気がたったかどうかは分からない。にんにくが青く変色していて、少し辛味が目立った。添えたバターの味は薄まってしまったし、全体的に味がはっきりしない。薄味というわけではないけど、もっと塩気か何かがあってもいいと思った。ほぼ初めて作ったような物だから、そこまで期待してはいなかったけど、次はもっと美味しく作れると思う。誰かの「美味しい」を何度でも聴きたいから。

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