全うする
祖父が亡くなった日の夜、僕は妻と息子が待つ東京に一旦戻った。そして次の日はいつも通り東京の自宅で仕事をして、夕方には息子と一緒に風呂に入り妻と夕飯をお腹一杯になるまで食べた。その日は祖父のお通夜で、翌日が告別式だった。つまり亡くなった翌々日が告別式になっていたわけだ。住んでいる部屋で水漏れを修理する為の工事さえなければ、多少急ではあるが3人で参列するつもりだった祖父の告別式に、今回は僕ひとりが実家に戻って参加することになった。最初に東京に帰ってきた翌日は体力がかなり削られているなと思ったけど、いつものように東京で3人でいるだけで気力や体力が回復していく気がした。そのおかげだと思うが翌日にはまた張り切って出掛けられて、まだシャッターが上がる前の下北沢駅に着いていた。
亡くなった祖父の話は、これでしばらくやめておこうと思う。実際にその場に居れば湿っぽいとは感じない自信があるけど、皆がそうとは限らないし前向きな話題として引用できるまでは、自分の心の中で穏やかな風に晒しておこうと思う。風化されるのではなくて、しっかり自分の中で消化して糧にしたいと思っている。それを祖父が望んでいるかは分からないけど、亡くなった祖父を敬う為にただ手を合わせるだけの時間を過ごしたくはない。ある意味でそれは今生きている僕の務めでもあると思っている。
始発の京王井の頭線に乗って、始発の新幹線に乗り継ぐ。指定席は満席というアナウンスが車内に流れる。いつも通り自由席の車両に入るのだけど、空いている席は少なくまばらだった。前日届いたばかりの新しいiPhoneで音楽を聴き始めた。最近のお気に入りの曲を何回か流した後は、今まで何度も聴いたことがある曲を選んで再生し続けた。もう本当に二度と祖父と話をすることができないんだなと、何度も心の中で反復して考えていた。祖父に何か言い忘れたことはなかっただろうか。病室で身体を綺麗にしてもらう前に最後に掛けた言葉を反芻していた。
年末に皆で集まる予定を立てていたけど、それよりも早く思わぬ形で家族が集う機会になった。祖父が亡くなった日と同じように快晴の青い空だった。悲しい気持ちになっていてもおかしくはないはずなのに、なぜかとても晴れやかで穏やかな心持ちでいた。見上げた青い空に雲ひとつないように、後悔一つない最高の人生を祖父が全うしたであろうことを確信できたからだろうか。祖父は薬剤師として地域で一番長く働いていたそうだ。確かに80代後半の年齢で現役で調剤をしている人を祖父以外に僕は知らない。最初に症状が出た時に検査を受けていればとか、早めに引退して養生すればとかはいくらでも言える。今はもう祖父が自分の人生を全うできたんだろうと思えるだけで充分だ。
告別式後の日程も滞りなく進み、祖父の骨を皆で拾い上げて骨壺に収めた。棺の中にあった祖父の肉体も失われてしまった。本当に祖父はもうこの世にいなくなったのだ。親戚一同が解散し、出された弁当を人数分持って車に積んで実家まで帰る。気持ちよく祖父を送り出せたという穏やかな気持ちで満たされていた。祖父との思い出は永遠に失われることはない。挫けそうになっても、祖父に掛けてもらった言葉を思い返して前を向いて生きていける。実家で弁当を食べて最寄りの駅まで両親に車で送ってもらった。
じいちゃんが僕のじいちゃんでよかった。僕はじいちゃんの孫として幸せだった。じいちゃんのことをとても誇りに思っているし、じいちゃんのように自分で決めた生き方を最後まで全うしたいと強く思っている。今までありがとう。どこかから僕達家族を静かに見守っていてくれたら、それはとても心強いことだし、そうしてくれていると信じている。