300

 今年ブログを書き始めてから、これが300記事目になった。100記事目も200記事目も、何かその数字に関連することを書こうと試みた。それがうまく書けているかどうかは、自分で判断するよりも読んでくれる人達に委ねたいと思っている。ただ僕はいつも自分の気持ちに正直に書きたいと心掛けているだけだ。だから今回は数字の300とは、ほとんど何も関係がないと言っていい内容になるかもしれない。けれども自分が書いておきたいと思えることではあるから、自分の気持ちに正直でいる姿勢は崩さずにいられる気がしている。

 祖父が息を引き取ったその日、僕は最終に近い電車と新幹線を乗り継いで東京に戻った。病院で医師による確認が澄んだ後に、集まった僕らは一旦病室を出て休憩室に移動した。祖父は病院スタッフの手で、身体を綺麗にしてもらった後に霊安室へ運ばれることになっていた。気持ちの整理が付いたのかどうかよく分からないまま、久しぶりに皆が集まって何でもない話をしながら時間を過ごした。よく考えてみると祖父が亡くなったのだから、もっと湿っぽくなるのが普通な気がしなくもないが、それが僕達家族の良いところでもあるんだろう。

 その明るい雰囲気は霊安室に祖父が移された後も変わらなかった。葬儀場の人が到着するのを待っている間も、祖父を囲んで皆で冗談を言い合ったりしていた。霊安室だって、僕のイメージではもっと薄暗くて狭い場所だと思っていたけど、蛍光灯の白い明かり以上に皆の笑顔が眩しかった。祖父にとっては孫8人だ。8人とも小さい時から面倒を見てもらてきて、僕も含め結婚して子どもが生まれたら曽孫の面倒も見てもらっていた。僕の息子には最後まで直接会えなかったことが心残りではあったけど、それは仕方のないことだと思っている。

 祖父を起こしに行ってくると意気込んでいたが、それは叶わなかった。でも後ろ向きな気持ちのまま東京には戻らないと決めていた。なぜなら祖父が逝ってしまう前に顔を見せられたから。自分の祖父に対する感謝の気持ちを伝えられたから。病院に駆け付けた皆と、ベッドを取り囲む中で懸命に生きようとしていた祖父の姿を目にして、きっと最後まで悔いなく生き切ったと思えたから。いつも前向きな祖父だったから、例え息を引き取っても背中を押してくれているような気がしていた。だから背中を押されるままに葬儀の打ち合わせの為に残っていた皆に「お疲れ様」と言って、妻と息子の元へ一刻も早く帰ろうと思った。本当なら3人で駆け付けたかったのだけど、それは現実的な選択肢ではなかった。どれだけ大切に思っていても、その全員の側に同じ時間に駆け付けることは不可能だし、自分の中での優先順位というのは決めてある。だから余計に今回駆けつけることができて、ある意味間に合ったことも、祖父からの目に見えない計らいだったのかもしれないと思える。

 行きの新幹線は東京駅で自由席に座った。自由席で帰る為にホームの端まで歩くのは、名古屋駅から乗る帰りの新幹線も同じだ。ただ今度は東京駅の手前の品川駅で降りようと思う。下北沢まではその方が近い。圧倒的に近いわけではないけど、少しでも早く2人の顔を見たいと思った。人間に魂というものがあったとして、祖父の魂は今どこに向かっているのだろう。東京へ向かってひた走る新幹線の窓の外を眺めながら、そんなことを思っていた。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

未分類

前の記事

暖かい
未分類

次の記事

全うする