暖かい
朝一番に実家に帰って、昼前に病室で目を閉じて呼吸を繰り返す祖父に会った。一旦自宅に戻ることになって、母の運転する車で実家まで帰った。最低限の荷物だけを持って東京の住まいを飛び出してきたけど、仕事用と私物のMacBookを持ってきたせいで、布製の鞄はとても重たかった。翌日は実家で仕事をして、夕方には東京に戻るつもりで当日は実家に泊まった。僕以外の皆は、翌日は朝から会社に出勤して仕事だった。ペーパードライバーの祖母は車を運転しない。少なくとも僕は見たことがない。だから急ぎなら僕が車を出すことになっていた。
軽く朝食を食べて、家族が出勤した後ひとりになった。いつものように業務用のパソコンを取り出して電源を入れる。メールやら何やらを一通り確認して仕事を始めた。音楽を聴きながら余計なことは考えずに没頭しようとした。それでもやはり祖父のことが頭から離れない。昨日昼前に病院を後にしてからは、まだ今朝まで連絡がないようだ。落ち着いているのならそれでいい。今日の夕方までは実家にいるから、また会いに行ける。今はやるべきことに集中しようとしていた。
車の運転はしない祖母だが、スマホはある程度使いこなしているようだった。何かの折にはメッセージを送り合っていた。昼前にその祖母から着信が入って、病院から祖父のことで連絡を受けたとのことだった。電話を切る前からパソコンを片付け始め、通話が終わると同時に車の鍵を握り締めていた。母も仕事だった為、連絡して一緒に病院へ向かうことになった。まず母の職場へ寄って、その後に祖母を迎えに行く。車中ではスマホがないと祖母が言い出し、一度自宅へ戻ったが実は鞄の中に入っていたというハプニングがあったものの無事に病院に到着した。
昨日と同じ手順で病院内に入り病棟へ急ぐ。病室へ入ると、昨日よりも更に苦しそうに呼吸する祖父の姿があった。昨日モニターで見た水色の数字が更に低くなっていて、祖父は酸素マスクを付けていた。僕には祖父の苦しみを想像することすら叶わないだろう。看護師の方達に入れ替わり立ち替わりで様子を見に来てもらいながら、祖父はいろいろな処置をされていた。最早それが何の処置なのかも分からない僕は、言葉も発せずただ祖父が目を開けるのを待ち続けていた。
病棟には面会に訪れた人用の広い休憩室があった。自販機が設置され、給水機も置かれていた。漫画や週刊誌、雑誌が置かれ椅子に座っている人達は思いおもいに過ごしていた。仕事を切り上げて家族がひとり、またひとりと病室に駆けつける。入室できるのは本来2名までらしいので、とっくに定員は超えてしまっていたけど、僕は一旦休憩室に移動することにした。後から来た従兄弟達とは1年振りだったこともあって、休憩室と病室を行き来しながら、その合間に互いの近況を報告しつつ話をした。祖父の状態はその間にも刻一刻と変わり続け、病室で祖父を身守る時間が長くなっていった。
もう陽はすっかり落ちてしまって、外は暗くなっていた。窓から見える病院の駐車場の地面は、電灯で白く照らされていた。もうベッドを囲む内の誰かが病室から出て行くことはなかった。横になる祖父の呼吸は続いている。モニターの数字と祖父の顔を皆が交互に見ながら、どこかに沈んで行ってしまう祖父の命を引き戻そうと必死に声を掛け続けていた。時折心拍数が跳ね上がるのだけど、それはもう心臓が残り少ない力を絞り出している兆候とのことだった。祖父が倒れたと聞いてから、きっと集まった皆が一番目にしたくなかった光景が目の前にある。僕の網膜に写るのは、弱々しく何とか呼吸を続けようとする祖父の姿だった。白い布団を掛けられ、何本もの管が身体に繋がれている。これまではその管を通って祖父の身体に辿り着く何かが、祖父の命を微力ではあっても繋ぎ止めようとしてくれていたのかもしれない。あるいはその時、僕らの声が祖父の耳には届いていたのかもしれない。
モニターに表示される数字が徐々に小さくなって、やがて祖父の心臓の鼓動が完全に止まったことを知らせるように音が鳴り響いた。そしてモニターに映るものは、左から右に流れる数種類の蛍光色の線だけになっていた。家族に囲まれる中で、祖父は静かに息を引き取った。病室を後にする前に祖父の左手を握った。僕の手が握り返されることが二度とないことは分かっていた。生きているということは暖かいということだと、静かに眠る祖父のまだ微かに熱を宿した左手に触れて感じていた。