朝の足音

 始発の電車に乗るつもりで目が覚めた。入院中の祖父の顔を見る為に実家に向かおうと思っている。Tシャツとハーフパンツという季節外れにも程がある格好でいつも寝ている僕も、今朝は布団から出るのを少しためらった。暖房の設定温度は普段と変わらない。寒くはないが、頭がぼーっとする程の熱気があるわけでもない。でも祖父はきっともっと苦しんでいるはずだ。暑くても寒くても言葉にして伝えられる状態ではないだろう。そんな祖父に僕ができることはどれだけあるだろうか。身体はひとつしかなくて、物理的に距離を飛び越えることもできない。今はただ最善と思える方法で目的地へ向かうのみだ。

 早朝の時間帯に駅に向かって下北沢を歩くのはいつ以来だろう。街灯や飲食店の明かりの数は夕方の賑わい時よりは少なくなった気がするけど、それでもこの街には昨晩のその賑わいの残り香のようなものが漂っている。ただそれには浸らず駅に向かってひたすら歩き続けた。11月の朝の空気はまだ本格的な冬とはいかないまでも、僕が肩をすくめるのには充分過ぎた。分厚い上着を羽織ってちょうど良かったのかもしれないが、もう引き返す気はなかった。改札にスマホをかざした後も、僕は前だけを見て祖父の顔を思い浮かべながら進み続けた。

 朝の電車には僕以外にも乗車中の人がいる。当然のことと言えばそうなのだけど、僕が思っていたよりも人数が多かったから少し驚いた。自分が在宅勤務が長いからといって、世間の人達が同じように電車で通勤せずにリモートで働いているわけではない。平日だったから本来は僕も家で仕事をしている予定ではあったのだけど、家を出る前に欠勤の旨をメールで伝えた。それに関して何かしらの確認か連絡が来るかもしれないと思ったが、結局終業時間まで何もなかった。事情を汲み取ってもらえたのなら、それはとてもありがたいことだ。

 新幹線を待つ間のホームは寒かった。これから年末年始にかけてもっと寒くなるであろうことは、毎年のことなので容易に想像が付く。それでもまるで初めての冬を迎えるように、今年は寒いなと声を出さずに毎年言っている。そして品川駅の方が近いのは分かっているのに、いつも東京駅まで来ている。ほぼ毎回自由席の車両に乗り込むけど、少しでも手前の駅から乗って窓際の座席に座りたいと思っているからだ。名古屋までの道のりは約1時間半。気持ち良く眠り込んでしまうと乗り過ごす可能性も充分あり得る距離だ。スマホから流れる音楽を聴きながら窓の外を何気なく眺め、朝食代わりのおにぎりをかじっていた。

 名古屋に到着するとすぐに、階段を駆け上がって実家の近くまで走る電車に飛び乗った。Suicaは途中の駅までしか使えないらしい。東京ならばそれで切符を毎回買う手間すら省けるのにと思ったが、東京駅で買った切符にはいつも降りている駅までの運賃が含まれていた。その数駅手前で降りて、母が運転する車で病院までの道を急いだ。

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