時を追う
良くないことを想像して焦っているのかもしれない。自分の目の前には時間という名前の、僕よりもずっと足の速い走者がいる。やろうと思えば簡単にできそうなことなのに、彼が僕を抜き去って見えなくなるほど遠くに行ってしまうことはない。むしろ常に後ろを振り返って様子を伺い、決して僕には追い付かせないけども、時々はもしかしたら追い越し返せるかもしれないという淡い期待を抱かせる。そしてそれが実際に現実になる確率は高くないし、自分ではどうしようもない不可抗力が働くこともあるから、それらを前にした時には僕はただその場で立ち尽くすしかない。
入院を続けている祖父の体調が悪化していると連絡があった。倒れて救急車で運ばれて数日が経とうとしていた。処置までの時間が比較的早かったこともあって、治療による一定の効果は出ていたらしい。ゆっくりとしたペースではあっても、少しずつ回復し家に帰れる日が来ると信じていた。側にいないから具体的に祖父の身体がどういった状態にあるのかは分からない。仮に説明を受けたとしても、僕には理解できないことだらけだろう。今どんな状態にあったとしても、僕が望むのは祖父に元気になってもらって、今年生まれた息子を抱いてもらうことだ。
自分の分身を1人増やして、どこか別の場所に出向くことができたらなと切に願う。誰もそれは叶えてくれそうにないから、僕は自分の中で優先順位をはっきりさせておかなければならない。そうしなければいざという時に、判断に迷って結果的に時間だけを浪費して後悔することになりかねないから。後悔しないというのは、できることは全てやり切ったと言い切れることであり、望んだ結果になるかどうかとは別だ。後悔などないと言い切れるのなら、例え望んでいないことが起こったとしても、受け入れ前に進み続けようとする力が働くだろう。
祖父のことを言っているのではない。容態が悪くなっているとしても、今この瞬間も意識が混濁する中、付き添う祖母や僕の母の声を必死に拾おうとしているだろう。差し伸べられた手を握って力強く起き上がれるように、腕を動かそうとしているのだろう。祖父は「病は気から」といつも言っていた。今こそ祖父自身がそれを実践して欲しい。今は本人に直接言えないが、僕も一緒に実践するつもりで回復を信じている。台所のテーブルで静かに駅伝を見ている祖父の姿をまた見たいと思う。そしてほとんどお菓子を食べない僕に、飽きることなく毎回勧めてくるお菓子と祖母の淹れた熱い緑茶をまた一緒に啜りたい。
夜が深まっていく。月明かりは街を優しく照らしているはずなのだけど、街の明かりはそれよりずっと明るくて、月が浮かんでいることなど地上にいる皆が忘れてしまったようだ。病室の窓からは、今どんな景色が見えているのだろう。