震え

 白い天井から水滴がぽたぽたと落ち続けている。頼りない月明かりの中でも、それらは充分目視で確認することができる。幻想的だから見ているのではない。むしろできればそんな光景は目にしたくないと思っている。朝露が緑の葉から滴り落ちたり、空に掛かる虹を見る時の上がる直前の雨のように心を奪うものではないから。漏れてはいけない場所から、漏れるはずのない水が漏れているだけだ。住んでいる部屋の床下工事が必要になり、その為に一時的な退去が決定的になったのは、息子と2人で留守番をしている時だった。

 ミルクを作る為だけに購入した魔法瓶を、久しぶりに棚から引っ張り出した。僕の身体からは母乳が出ないから、妻がいない時に息子がお腹を空かした時にはミルクを作って与える。完全母乳にしてからしばらく時間が経つ間に、息子はすくすくと大きくなっていた。ミルクを飲む時には、首の下に畳んだタオルを敷いて高さを調節していたけど、今は必要無くなった。僕があぐらをかいた足の上に無理なく収まるようになったからだ。多めに作ったミルクが入った哺乳瓶の先を彼の口元に運んでいく。

 不思議な物を見る目で、最初は中々咥えようとしなかった。何度も吸ったことがあるはずなのに忘れてしまったのだろうか。少しだけ漏れたミルクを口を開けたり閉じたりしながら味見をして、しばらくしたらやっと咥えてごくごくと飲み始めた。一口飲む毎に哺乳瓶の内側に細かな気泡が現れる。その気泡の量が以前とは違って多くなっていた。そして途中で休憩しながら飲んでいたけど、今はもうひたすらリズム良く喉を鳴らしながら飲み続けていた。哺乳瓶は掴まずに、なぜか僕の小指を両手で握り締めていた。

 結局200ml作ったうちの150mlしか飲まずに、途中で目を閉じて眠ってしまった。そういうところは以前と変わらない。懐かしいと思う反面、まだまだ赤ちゃんなところもあるなと思う。今朝、祖母の携帯に僕と息子が2人で映る写真を送った。そしてその直後に僕の電話が鳴った。さっきLINEをしたばかりの祖母からだった。祖父が入院中で、もしかしたら寂しい思いをしているかもしれないと思った。祖母はきっと自分の口からはそんなことは言わないかもしれない。いつも気丈に振る舞っている人だから。

 祖父母の家のすぐ側に僕の従兄弟が住んでいるし、僕の実家も近い。近所の人も含めて皆が良くしてくれる、と明るい声で話し始めた。その声を聴いて元気そうだと思ったけど「大丈夫、ありがとう」と言う祖母の声は確かに震えていた。励まさなければと思っていたはずなのに、僕も声が震えてしまって言葉が続かなかった。くよくよしていても仕方ないから元気良く過ごすようにすると言う祖母に、いつの間にか僕が励まされていた。そして「病は気から」という祖父の言葉を同時に思い出していた。

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