寝返り

 それは突然の知らせだった。1週間が始まってすぐ訪れた祝日の午後。祖父が倒れて病院に運ばれたとの知らせだった。予兆がないわけではなかった。実際どんな状況だったのか詳しく聞いていないが、似たような症状があったと母から以前も電話があった。再発したんだと思う。そもそもこれはわざわざブログに書くべき内容ではない、と誰かが言うのかもしれない。ただ最初から自分の書きたいと思う文章を書き続けると決めていたし、自分にとって必要だと思うからこうして文字を打ち込んでいる。

 当然今この時期だから、僕が病院に駆け付けたとしても面会はできないだろう。祖父が以前に簡単な手術で入院していた時、ICUのベッドの枕元に、祖父の好きだったウイスキーの小瓶を置いて帰ったことがある。後日病院の方が驚いて祖父に尋ねると、僕が持ち込んだことを説明してくれたそうだ。僕なりに考え抜いて祖父が一番喜びそうな差し入れだったのだけど、さすがに病床に持っていくのはまずかったと反省している。ただ今はそれすらもできない。この身一つで行ったとしても、退院するまで顔は見れそうにない。

 明太子スパゲティを食べ終わって、息子を床に置いて遊ばせていた。甲高い声を発しながら、手足をバタつかせている。僕がどれだけそわそわしたところで、遠く離れた病院にいる祖父の状態が劇的に良くなることはないかもしれない。気晴らしに散歩に出掛けることにした。連休でもないのに、下北沢には人がたくさん集まっている。駅前の道には机が並べられて、その上に将棋盤がいくつも設置されていた。眉間にしわを寄せながら駒を慎重に動かす人や、1人で2人を相手に笑顔で駒を操る人もいた。何かのイベントらしく、簡易的なステージが設営されてカメラを構える人達もいた。

 あてもなく外を歩き回って、本屋に寄って車雑誌をパラパラとめくっても、気持ちがすっきりと晴れることはなかった。ちょうど今日の曇り空みたいに、と言ったら何だか詩的な表現に感じるかもしれないが、実際のところは形容し難い心持ちだった。夕飯の買い物をいつものスーパーで済ませて家に帰る。平日ならいつもはまだ仕事中なのに、今日は業務用のパソコンを机の上にすら置いていない。とても不思議な感覚だ。風呂に入るまでまだ2時間ほどあった。スマホのカラオケアプリを開いて、お気に入りとして登録した曲を端から順番に歌い始めた。

 音域の比較的狭い曲から歌い始め、裏声を多用する曲に移っていく。いつもはいきなり音域の広い曲から歌い始めていたけど、今日は徐々に喉を温めるようにして声を出した。寝そべっている息子の声をマイクがしっかり拾っている。彼は生まれてからまだ一度も祖父に会っていない。僕も最後に会ったのは去年の12月だ。今日息子が初めて寝返りをした。それは突然のことだった。僕はその姿を見ながら、溢れそうになる涙を必死にこらえていた。

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