人間性
仮に世界一の大富豪になったとしても、僕は人間性を失うことなく生き続けたい。人間性だけで生きていけるほど世の中は甘くない、と誰かが言う。しかしそれ相応の人間性を持つということは、そんなに簡単なことだろうか。その言葉の意味を調べたら、人間として生まれ持った内面的な性質のことを言うそうだ。人間として生まれ持ったというが、誰もが母親のお腹から出てきた瞬間から備えているものではないと思う。何も書かれていない真っ白なキャンバスが備えているのは純粋な白い空白であって、最初からそこに何かが描かれているわけではないように。
どんな職業を選んだとしても人間性だけで大成することは難しい、とまた誰かが言う。間違ってはいないだろう。どれだけ高く積み上げたものでも、人間性というのはその土台のような物で、揺れてぐらつけば簡単に一気に崩れてしまう。現実世界でもそれを象徴するような出来事が起こり続けている。人間はとても複雑に組み立てられた超精密機械のようではあるけれど、生身であり完璧な存在ではない。自分自身でもそれは日々感じていることだ。だから間違いを犯すことはある。避け難く何かに巻き込まれることだってあるだろう。
冷静な時には、冷静な態度でいられる。そして冷静さという人間性が、最初から備わっていると他人からは見られやすい。しかしその人の本来持つ人間性の全てが、普段から常に漏れ出すことはほとんどない。大抵は冷静さを保つことが比較的難しい局面で、人が変わったように機嫌を損ねて態度が豹変する人を見かけることがある。ただし感情の起伏があるということに関しては、ある意味人間である証拠だと思うし、一概に悪い態度だとは言えない。僕自身もこれまで何度もその起伏の高低差を体感してきたし、充分に大人になったと言える今の年齢でも、感情的になる場面が絶えることはない。
昔交通事故を起こした時、任意保険の保険金の支払いが中々進まずに、相手から示談金を用意して直接会いに来て欲しいと連絡を受けたことがあった。結論から言うと、保険会社の担当者が手続き途中で代わり、引継ぎがうまくされておらずに滞ってしまっていた。ただ相手から連絡を受けた時にはどうしていいか分からずに、とても冷静ではいられなかったことを覚えている。保険会社の不手際がなかったとしても、例えば交通事故を100%の確率で防げないと分かっているのなら、僕にできるのは誠意を示すことだけだった。誠意とは何だろう。当時の僕にはそれを言葉にうまくできなかったし、今もこうだと断定はできない。ただひとつ言えるのは自分が逆の立場だったとして、相手がして欲しいことを行動に移すことだと今は思っている。
自分以外の誰かが起こした事は、どこまで本当なのかどうか確かめようがないから、非難するのではなくこれからの自分の行動に活かすことしかしないようにする。人間性だけでは何も築けないと言ったが、高く丈夫にしようと思えば土台になる人間性こそ最も大切な部分になるはずだ。そしてそれは持って生まれたのではなく、自ら獲得していくものだと強く信じている。