通り過ぎた夏

 2019年は間違いなく終わり2020年が確かにやってきた。そして厳しい冬が終わり、少しずつ春が至る所に咲き出した。そして暖かい時期を通り越して暑さの厳しい夏を迎えた。滴る汗をタオルで拭いながら、我が子の誕生を今か今かと待ち侘びていた6月の終わりのことだった。家族を守るという理由で、極力外出を控えて過ごしている。幼い息子がいるから仮に今のように世間が混沌としていなくても、いつでも好きな時にどこへでも出掛けられる状況ではない。眠たい目を擦りながら起きて、また眠たい目を擦りながら横になるのを繰り返す間に、いつの間にか秋が来て冷たい風が温もりを奪っていった。

 外の空気が気持ち良さそうだ。ベビーカーを押しながら公園にでも行こうと思い立った。親子で電車に乗るのは初めてではない。駅構内のエレベーターに乗ることはそれまでなかったけど、今は逆に乗らないという選択肢がなくなった。ベビーカーをエスカレーターに乗せて移動はできなくはないが、降りる時に傾斜がかなりきつくなって危険だ。一度子どもが乗っていない状態で試してみたが、腰を屈めないとベビーカーを支えられないくらい不安定な体勢になってしまったことがある。多少時間が掛かっても、安全に移動できるエレベーターを今は重宝している。

 改札を通ってエレベーターでホームのある階まで移動する。各駅停車の列車がすぐに到着しそうなタイミングだった。いつの間にかホームドアが端から端まで設置されていたけど、今はもう見慣れた風景だ。ベビーカーのフードを降ろして、手作りの日除けのカバーを広げた。電車がホームに近付いてくる音がしても、特に驚くわけでもなく静かにどこかを見つめている。滑り込んできた車両の中には、思い思いに過ごす人達の姿が見える。ドア横の手すりに身体をもたれて、スマホに視線を固定する学生らしき人。その近くで親子が電車を降りる為にドアが開くのを待っていた。

 入れ替わるようにして僕らは電車に乗り込んだ。最近小田急線に乗っていなかったが、先頭車両の顔付きがすっきりして、より未来的な造形になっていた。遠くまでは行かない。二駅先で降りて羽根木公園に向かう。電車はしばらく地下を走ったままで外の景色は全く見えなかったけど、少しずつ地上に向かって上昇し世田谷の住宅街が眼前に広がっていた。このまま電車に乗って行けば、いずれ多摩川を越えて神奈川に行ける。そう言えば今年は江ノ島に一度も行っていない。特別綺麗な海でもないのに、時々僕は足を伸ばしている。来年は気兼ねなく行けるようになることを願っている。

 図書館の裏手に小高い丘があって、その辺一帯が公園になっている。前回来た時は、風が穏やかで陽射しが気持ちのいい春だった。道の脇に生えている木々の枝には、頼りない数の葉が見えるだけで隙間からは太陽の光が溢れるように漏れ出ていた。でも今回は同じ場所に来たはずだったのに、随分と様子が違って見えた。イチョウの木が薄い緑色の葉をぎっしりと茂らせて風に揺れていた。それらが濃い影を作り出して、日向との陰影の差を以前よりもはっきりと目に映していた。やがて皆黄色くなって地面に落ち、風に乗ってどこかに行ってしまうのだろうけど、今はまだ鮮やかさを失わずにいる。ベビーカーの中で眩しさに時折顔をしかめながら、辺りをじっと観察していた。まるで世界の全てが詰め込まれた箱庭の中にいるような透明な眼差しで。

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