真夜中のエール
これから先、一切の心配事などない状態で生きられたらと何度も思った。ある程度は心の持ちようだけど、何も起こらない毎日などあり得ないことも知っている。叶うはずの願いをただ呪文のようにじっとして唱え続けるだけでは、僕はどこにも辿り着けない。苦しみの檻の中に自らを閉じ込めたくせに、きっと誰かが助け出してくれると思っている。完全に孤独になる覚悟もないのに、強がったまま表情を強張らせて誰かに気付いてほしいと図々しく開き直ろうとしていた。
新しく変えたばかりの枕カバーに頭を乗せた。エアコンは適度に効いて、暑すぎず寒すぎずちょうどいい。風呂に入って夕飯も食べ終わったのに、瞼が少しも重たくならなかった。目を閉じてみても、頭がぼんやりして眠りが訪れそうな気配はなかった。何度か深呼吸を繰り返しながら、何も考えないように努める。何も考えないように、と心で唱えている時点で結構頭を使ってしまっている。何も考えないようにというのは、自分の身体が部屋の空気の一部になってしまったかのような感覚だろうか。とにかくただ純粋に、僕は僕の身体をひたすら横にさせ続けることにした。
スイッチがどこかに付いていて、一押しですぐに眠れたらとても楽だろう。でもどこにも見当たらないから、日中できるだけ身体を動かして勝手にそのスイッチが入るように仕向ける。もちろん毎回うまくいくわけではない。そしてそのうまくいかない日は、いつも何の予告もなしに突然やってくる。頭の中でぐるぐると濁った水が渦を巻き続けていて、僕はその真ん中に佇んでいる。渦を横切って穏やかな水の方に移動することは簡単だ。なぜならその渦を作っているのは僕自身なのだから。しかし僕はそこに留まり続けた。
部屋の明かりは全て消えていて、空気清浄機の湿度を表示する青い光と、月の形をした間接照明の光だけが照らす中を玄関まで移動した。床に敷いてあるウレタンのマットから足が離れる度に、ミチミチと嫌な音がする。長ズボンと長袖のパーカーに着替えて外に出た。10月の夜はもう暖かくはない。短パンとTシャツでは出歩けない。身軽でいいとは思うけど、外の空気は身体を冷やすのに充分過ぎる低さだった。ジッパーが上下からそれぞれ閉められるそのパーカーを、店頭で見ることはもうなくなった。1着しかないから、今もずっと着続けている。
缶ビールを2本、コンビニで買った。どうしてもビールを飲みたかったのではない。そのまま身体を横にしていても眠れそうになかったから、堪らずに外に出た。酒で少し酔えば寝られるだろうと思ったから。でも普段定期的に飲酒する習慣がない僕には、夕飯を食べ終えてから数時間後のビール2缶は軽くなかった。確かに眠気は一気に覆い被さってきたけど、それは心地が良いのとは少し違う感覚だった。飲んで忘れられるのは一時の事で、酔いが覚めると以前にも増して現実味が増していることがある。だから決して飲まれてはならないと思う。真夜中のエールは冷たく喉を潤しながら、僕を闇に溶け込ませていく。