早起き
分厚い雲の上に広がる空はいつだって青い。その雲達を掻き分けて登って行けたらと想像する。登った後はもう太陽の光を遮る物はないから、僕の2本の腕が焼かれてしまうかもしれない。皮膚は徐々に赤みを帯びて、やがて血が染み出してしまうだろう。その時になってようやく、自分がただの人間であることを再認識する。翼のない僕の身体が、速度を上げながら僕の意志とは無関係に落下し続ける。火照った身体を単に冷やすだけに留まらず、大気は意識まで奪ってしまう。分厚い雲に抱き止められることもなく、ただ落ち続けるだけだった。
外はまだ暗い。隣のマンションの輪郭が微かに見えた気がした。部屋に置いてあるバックライト付きのデジタル時計は、手元から遠くてよく見えなかった。僕は頭を挟んで反対側に置いてあったシルバーのiPhone Xを手に取って、サイドボタンを一度だけ押す。いつもならまだ眠っている時間だ。いつもなら、のいつもがどれくらい前だったか思い出してみる。そう難しいことではない。妻が陣痛に苦しみ出した夜から数えると、もう半年弱になるだろう。いつまで続くのだろうと思っていたけど、困難以上の贈り物を両手に余る程毎日受け取っている。
洗面所のコップで水を1杯だけ飲む。10月も後半になると、水道水が冷たくて美味しい。名水というのは、きっと僕の知らない人達が知らない場所で知らない間に決めたことだ。自分で美味いと思ったら、それが僕にとっては美味しい水だ。牛乳と豆乳を200mlずつプロテインシェイカーに注いだ。同じ色ではない似たような色をしている彼らは、早朝の暗がりでは見分けが付かない。中途半端に混ざったその液体を、内臓を驚かせないように少しずつ呑み込んでいく。冷蔵庫から出したばかりだからどちらにしろ冷たいけど、身体がほんの少し目覚めた気がした。
用を足したら薄いオレンジのマークが付いたシャワーの蛇口を開けた。しばらくして熱湯が出始めると、すぐに風呂場は湯気で溢れ返る。水色の蛇口を少しだけ捻って温度を調整する。熱めが好きな僕は全身に数分お湯を浴び続けて、眠っていた身体を一気に起こそうと試みた。それが成功したのか失敗したのか、身体を拭いている時には何とも言えなかった。その後に久しぶりにリュックサックにペットボトルを詰め始めた。ペットボトルにはほぼ満タンに水が入っているが、それでもベコベコと音がなる。かろうじて息子は静かに寝ているが、起こさないように細心の注意を払わなければならない。
何日ぶりだろう。在宅勤務になって通勤時間もなくなったから、その分をトレーニングに充てることは容易だと思っていた。Googleのスプレッドシートにトレーニングの状況を記録していたのだけど、未実施だった日を赤く塗り潰したら、合計で半年分くらいになりそうだ。自分に甘かったと反省した。時間は誰に対しても平等に流れているが、自分の為に使う時間というのは、誰かがいつも用意してくれるわけではない。時間は作れる。過去には戻れないが、今この瞬間からその先の未来をどう過ごすかはある程度自分でコントロールできる。まずそう思わなければ始まらない。
パンプアップした腕を眺めながら、とても清々しい気分になっていた。余計な考えはどこかに行ってしまって、向上したいという純粋なエネルギーだけで心も身体も満たされている気がした。自分の中に滞っていたものを、それはいつも巡らせてくれる。