デザイン

 このブログはAppleのMacBook Pro 13inchで書いている。以前はWindowsを搭載したSonyのパソコンをしばらく使っていた。学生の時に一人暮らしをしていた部屋から自転車に乗って店に出掛けて、パソコンが梱包された箱を片手に、自転車を漕いで家まで戻ってきた。不慣れな片手運転と重量がある箱のおかげで、帰り道は行きの倍くらい時間が掛かったのを今でも覚えている。そして僕が初めてApple製品を購入したのは、大学生の時に留学したカナダの大型家電量販店だった。当時はまだMacBookにもDVDドライブが内蔵されていて、筺体も厚みがあった。

 黄土色の古びたバスをいくつか乗り継いで、目的地へ向かった。外国の家電量販店に入ったのはそれが初めてだった。家電量販店という呼び名が正しいのかどうかは分からない。電化製品だけではなくて、日用品や食料品が並んでいるスペースもあったからだ。買い物カゴやカートも日本で馴染みのサイズよりもかなり大きい。一度に現地の人はどれくらいの量をそこに入れるのだろうと不思議に思っていた。カナダの夏は湿度が低くて過ごしやすいが、冬は飛びっきり寒い。だから気軽に買い物でも行こうか、とはなりにくいのかもしれない。

 自動ドアを通ってパソコンのコーナーまで歩いた。売り場に店員が常に待機しているという感じでもない。MacやWindowsのパソコンが並べられているが、特別何かが違うというのでもない。価格や性能の表記はもちろん全て英語だったが、当時の僕の英語力で何が書かれているかは理解できた。書かれている値段は日本円にしていくらになるのか正確には分からないが、1ドル100円ちょっとという根拠のない適当な換算で見積もってみた。 Windowsに不満があったわけではない。ただ当時も今も、僕はMacのデザインを魅力的に感じている。

 いくらデザインが良くても、と誰かが言うかもしれない。確かにその言い分には一理あるとは思う。見た目がどれだけ洗練されていようが、自分がパソコンで行いたい作業が満足にできなければ、道具として使い続けることは難しい。値段もWindowsと比べると比較的高い。予算もいくらでも使える状態ではなかった。当時僕は大学の学生証と一体型のクレジットカードを持参していて、MacBook Proの支払いにそのカードを使ったのだけど、後日親の元に請求が行って事前に相談していなかったから叱られてしまった。

 日本に持ち帰った後は、そのMacBookで卒業論文を書き上げた。大学を卒業して実家に戻ってからは、家のデスクトップパソコンを使い始めたのでMacは押入れで眠ることになってしまった。最終的に処分することにしたのだけど、上京して下北沢に引っ越してからApple Storeに出掛けて、自腹で当時最新のMacBookを購入した。数年前に買い換えて今に至っている。自分の好みに100%合致するデザインはない。どんな製品を購入したってそうだろう。そして使い続ければいずれ壊れてしまう物と分かっていても、限りなく自分のイメージに合致する物をそばに置いておきたいと思っている。自分の手足になる物だから、違和感を感じたまま使い続けることはできない。言葉で説明することは難しい。ただ言葉で説明できないことの方が、人の心を捉えるとも言える。少なくとも僕はそうだ。

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