恥じることなく

 彼女が来ることを見越して、パソコンとテレビを繋げた。まだ3歳になったばかりで、今はディズニーのプリンセスシリーズが大好きなのだそうだ。どこかで手に入れたであろう既製品のドレスを身に纏って踊っている動画や写真が、時々送信されてくる。もし男の子ではなくて女の子だったら、自分の子どもも同じように映画の主題歌を口ずさみながら、身振り手振りで踊りまくるのだろうか。そんなことを想像しながら動画配信のサブスクリプションにアクセスして、どれがいいかと眺めていた。

 昼過ぎになってインターホンが鳴らされた。受話器の向こうが既に騒がしい。オートロックが解除される機械音も聞こえた。玄関を少しだけ開けて外の様子を伺う。小さな足で階段を一段ずつ感触を確かめるように昇ってくるのが手に取るように分かる。出迎えた時には手に傘を持っていた。「こんにちは」と言うと、同じく「こんにちは〜」と語尾が少し伸ばされた黄色い高音で挨拶が返ってくる。身内という事実を差し引いても、年齢の割にしっかりと受け答えできるなと、この日も感心していた。

 事前に買い出しには出掛けていなかった。歩いてすぐの場所にスーパーがあるし、揃ってからそれぞれ好きな物を探しに行けばいいと考えていたから。僕は用事があって家から出られなかったので、他の皆に買い物に行ってもらうことにした。ただ事前にテレビで流しておいた映画の続きをどうしても観たいらしく、姪っ子は買い物には一緒に行かないと言う。そうなるだろうことは僕も含めて皆何となく想像していたようで、結局僕と2人で留守番することになった。

 麦茶を注いだコップを小さなテーブルの上に置いておく。喉は乾いていないようで、すぐには手を付けなかった。テーブルの上の両腕は組まれたまま、視線はテレビ画面に映るディズニー映画に固定されたままだ。そのままじっとしているのかと思っていたら、「ねぇねぇ」と控えめな声で呼ばれた。流れ続ける映画を観ながら、登場するキャラクターの名前を次々と楽しそうに言っている。そして次の場面でどうなるのかや、映っている場面がどういう状況なのかを、あくまでも3歳の視点から、詳しく解説し始めた。

 テーブルを挟んでテレビの反対側にあった座椅子に座り続けるのに耐え切れなくなったらしく、立ち上がって手足を動かし始めた。そして流れる音楽やセリフをほとんど全て真似ようとしている。何度も見返したのだろう。何度も見返さなければきっとそんな風に自然に身体が動き出すまでにはならないはずだ。ただ何度も見返しているとしても、まるでとても長い間楽しみに待ち望んでいた映画を初めて観るようなリアクションだ。そうこうしている間に部屋を行ったり来たりし始めて、ミュージカル女優のように歌い出した。振り付けはいよいよ本格的になり、気が付いた時には狭い我が家が彼女のひとり舞台となっていた。

 その後も夕食を一緒に食べることになり、時間も遅くなっていざ帰るとなった時まで元気よく動き続けていた。実家にいる両親とテレビ電話をした時にも、突然の歌のリクエストに全く動じることなく、スマホの小さな画面から溢れるくらい元気良く歌い切っていた。そんな姿を見ていると、大人になって自分の感情に素直になることを恥じらう意味が全くないように思えてくる。いや、実際に恥じらうことなど無意味なんだと確信した。自分はこれが好きだと胸を張って言う時に、誰かに対して後ろめたくなる必要など微塵もなかった。子ども達が将来の夢を聞かれて「〜になりたい」と答えている姿を見て、自分にもあんな時があったなと遠い過去のように思い返すのは自然な流れなのか。

 大人になるというのが、自分の素直な気持ちに見切りを付けることだとしたら、それはとてもつまらないことのように思える。彼女がこれからどんな選択を繰り返して何歳になっても、生き続けて輝ける人生の真っ只中にいることを願っている。そして自分の息子にもそうなって欲しいと思うから、僕も眩しいくらい光り輝いていよう。

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