鉛筆もない
どうしても答えが思い浮かばなくて、ただ時計の針が動き続けるのを見つめていた。そのまま目線を固定していると、教室にいる先生に何か声を掛けられるに違いない。かと言って周りを見渡せば、カンニングしていると疑われるかもしれない。嘘が顔ですぐに分かってしまうから、賭けに出るのはやめた方が良さそうだ。仮に他の誰かの解答用紙を覗こうと思っても、両腕を広げて「さぁどうぞ、見てください」といった具合に椅子の背にもたれている人間はいないはずだ。本当なら回答欄を自信たっぷりに全て埋めた後に、僕がそうしたかった。
そう言えば昔、バトル鉛筆なる物が一時期流行っていた。鉛筆の側面に色々な文言が書かれている。ドラゴンクエストのバトル鉛筆だと、攻撃して相手にどれだけダメージを与えるとか呪文を使ったとかだ。どの面が出るかは、転がした後に止まった鉛筆を見なければ分からない。一応相手の鉛筆と闘うのだけど、サイコロで出た目がどちらが大きいかみたいな仕組みだと僕は思っている。いや、もしかしたら自分が思った通りの面で止める技があったのかもしれないが、結果的に僕はそれを身に付けることはできなかった。
そんな鉛筆があるとは知らないし、普段の授業で削って使っていたから、テストの時にも何の迷いもなく筆箱から出して机に並べた。鉛筆に書かれた細かい文字が、あたかも教科書の内容を抜粋した物だと思われても辛い。しかし可能性があるのであれば、先生達としては黙っているわけにはいかないのだろう。そんな心配をしている間に、鉛筆を削って字を書くことはなくなって、シャープペンシルを使うようになっていた。使い始めた時には鉛筆よりも未来的な感じがしたけど、どちらも詰まるところ筆記具であって、手汗で滲んでしまうことに変わりはなかった。
シャーペンも色々な種類を使ったけど、持ち手の部分を外して違う色に交換したり、色違いで同じシャーペンを集めたりしていた。制服の胸ポケットに、色違いのシャーペンを5本くらい差し込んでいる人もいた。ただそれを見たからと言って、好きなだけシャーペンを持てる彼が羨ましいとは全く思わなかった。少しは考えたかもしれないけど、結局使うのは1本だからと自分を納得させていた。1本あれば細長い芯を何本か詰めておけるから、長い時間連続で何かを書く時に便利だ。詰め込みすぎて中身がうまく動かなくなった時に、代わりに文字が書ける物がなくて結構困ることを除けば。
僕が書く文字は母のそれに似ている。父の字は達筆で、他人に見せても評判がとても良い。僕が書く文字はどことなく角が取れた形で、丸文字とは言えないまでも、それに近い特徴があると誰かに言われたことがある。文字は何かを伝える手段のひとつだと思っている。大切なことは文字で何を伝えるかだ。そしてこれは他でもない自分自身の問題である。僕の文章から何か少しでも伝わるものがあれば。