カローラの荷室

 夏の暑い日。ガレージなどないから、車は直射日光に日の出から晒されて続けている。だからといってその見た目が普段と何か違うというわけでもない。後ろのトランクを開けると、シートのビニールの匂いが鼻を突く。地面を歩いた靴でそのまま乗り込んでいるから、細かな砂が床に散らばっていた。折り畳まれたプラスチックのケースがいくつか置かれている。これから荷物を配達に出かけるところだ。荷物はそれほど多くはない。人手が足りないから乗り込んだのでもない。2列目の合皮のシートに掴まって車が発進するのを待っていた。

 薬剤師の祖父は、時々白いカローラを運転して客のところに品物を届けていた。店番の合間に、遊びに行った僕らを荷物と一緒に荷室に乗せてあちこち走り回っていた。座席に座らずに車の動きに合わせて左右に身体が振られるのが楽しくて、いつ配達に行くのか楽しみに待っていた。目的地に到着すると、荷物を降ろして運ぶのを手伝ったりもした。遠くまでカローラは向かうわけではなく、配達先はいつも同じ場所だった。口数が多い人ではないが、かといって寡黙なわけでもない。「病は気から」と事あるごとに言っている人だ。

 祖父の自宅内に薬局があって、薬だけではなくて日用品も販売している。なぜかインスタント食品が豊富に並んでいて、いとこが集まると好きなカップラーメンを店の棚から一つずつ持ってきて、祖母が沸かしてくれる熱湯を順番に注いだ。丁寧に入れられた熱い緑茶と一緒に、皆でテーブルを囲んだ。一日中店番をしているわけではない。絶えず客が来るのでもないから、いつも台所の椅子に座って駅伝の中継を観ていた。僕は長い短いに関係なく、長時間誰かが走っているのを観るのはあまり好きではない。だから祖父がなぜいつも飽きることなく眺められるのか不思議に思っていた。

 僕が生まれた後しばらくは祖父の家で過ごしたらしい。祖父が赤ちゃんの世話をしているイメージが全く沸かないのだけど、僕を含めて孫8人と一緒によく遊んでくれたから子どもが好きなんだと思う。僕がこうしたいとかああしたいと言っても、反対することもなくいつも背中を押してくれた。何かに思い悩む姿も見たことがない。もちろん毎日一切の不安がない状態で過ごしているわけではないと思うが、真面目で誠実な人だと思っている。

 そんな祖父も今年で86歳になる。いくら「病は気から」とは言っても、身体は良くも悪くも変化し続ける。それは誰にとっても避け難いことなのだ。後3年は現役で薬剤師を続けたいと意気込んでいると母が教えてくれた。その意志がある限り元気でいられるだろうし、そうあってほしい。僕はまだ祖父の半分も生きていない。できることはまだまだたくさんある。他の誰でもない自分自身がそう強く信じなければ。

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