いつも音楽をそばに
小さい頃の遊び道具は、マイクの付いた黒い小型のカセットデッキだった。マイクは声を出すとエコーがかかり、音が波打って響いていく。テープを巻き戻している時には、若いお姉さんの音声で「ちょっと待ってね、ちょっと待ってね」と繰り返し流れる。何度も繰り返し聞いたので、ずっと耳に残っている。カセットには、当時の有名なフォークソングが収まっていた。僕にとってはそのフォークソングが思い出の曲達だ。「なごり雪」や、「落陽」を繰り返し聴いた記憶がある。
音楽一家というわけでは全くない。他の家庭と同じように、朝起きたらNHKを見てテレビから流れてくる歌を口ずさむ。「北風小僧の三太郎」が好きだった。今はほとんど流れなくなってしまったが、それでもたまに耳にする時には「三太郎〜っ」とやまびこのように歌ってしまう。最近は、子どもの時よりも早く起きて仕事に向かうので、平日は「おかあさんといっしょ」は全く見れない。そのかわりに「みんなの体操」と「英語で遊ぼう」を眠たい目を擦りながら、ぼーっと眺めて目を覚ましている。
僕の父は、学生だった頃水泳と吹奏楽をやっていたそうだ。吹奏楽は、楽器の演奏だけではなく指揮者もやって、かなり熱心に取り組んでいたと話していた。それが功を奏したのか、高校卒業時には音楽で生計を立てる道もあったらしい。しかし事情が重なり、プロの音楽家への道は断念せざるを得なかったそうだ。もしその時父が違う選択をしていたら、僕はこうしてブログにこの話を書くこともなかっただろう。実家を出て自由に暮らせているのも、結果的に父の決断のおかげだと思っている。そんな父には、一度でいいので何かしらの形でまた音楽に関わって輝いてほしいと思っている。僕の密かな夢だ。
休日には、よくひとりでカラオケに行く。他の誰かが歌い終わるのを待つことなくひとりでリラックスして歌いたい。ドリンクバーを頼んで、大体4、5曲ごとにおかわりを注ぎにいく。部屋の入り口はスモークがかかっているが完全には目隠しされていないので、時々通り過ぎる他の客の視線が気になる。いつも3時間ひたすら歌い続けるのがお決まりのパターンだ。歌い終わるとちょうど空腹になるので、スーパーで買い物をして家に帰る。
仕事で行き詰まったり中々心が晴れてすっきりしない日は、ひと気の少ない夜の海で大きな声で歌う。大抵のことは、歌っている間にどうでもいいような気がしてきて穏やかな気持ちを取り戻す。そして自分の家族や、大切な人達の幸せを静かに願って帰路につく。
言葉にうまく表せられない感情を代弁してくれるものがあるとしたら、そのひとつが音楽であってほしい。僕はそう思わずにはいられない。