母の子
父の話に少し触れたので、母の話もしたい。僕は両親の長男として生まれ育てられた。ふたりにとって初めての子どもだったので、接し方はもちろんそれぞれ違えど、疑いようもなく惜しみない愛情を注がれたと感じている。
他の家庭と比べてどうだったかは、今となっては大したことではない。父も母もひとりの人間であることに疑いの余地はない。完璧な両親などいないと思う。母は、今の自分の状況と比較してもかなり若い時分に父と結婚したんではないかと思う。僕が大学に通って、留学している年齢にはすでに子育てに励んでいた。ある時、母が僕を産んだ直後から書き溜めていた育児日記を初めて読むことになった。物心ついた時には、母が書き物をしている印象があまりなかったので、特徴的な丸文字でびっしり埋められた日記を見て驚いた。産まれてからの様子や、母自身の心情の変化が細かく記されている。子どもの小さな変化に一喜一憂し、うまくいかないことを嘆き、それでも懸命に子育てに取り組もうとする母の気概を感じ取れる。「うまくいかなくてごめんね」と書かれていた。今思うと、生まれてくるということ、今生きているということだけでもどれだけ奇跡的なことなのかを思い知らされる。だからそんなに自分を責めないで、と当時の母に伝えたい。
昼間は父が仕事でほとんどいなかったので、母が食事の用意や家事全般をやってくれていた。ほとんど毎日台所に立って、まな板から小気味よい包丁の音をさせながら味噌汁を煮て、生姜焼きや海老フライを作ってくれた。もちろん、時々は機嫌がよくないことだってあった。僕らにはわからないストレスも感じていただろうし、色々な苦労もあったと思う。
僕のマイペースな性格は、おそらく母親譲りだと思う。自分が正しいと思ったことは疑うことなく我を通そうとする。頑固で柔軟性に欠けるところもある。しかし決してそれを悪いことだとは捉えていない。もちろん他人と関わらないとか、助言を無視するわけではない。無闇に誰かを傷つけてまで自分の姿勢を押し通すのがいいとは思わない。ただ、皆が今までそうしてきたからとか、こうするのが常識だとか、当たり前だと思っていることを考え直すことで物事の本質を見極めたいと思う。
自分が本当になりたい人間はどんな人物か。自分が本当に大切にしたいものは何か。父と母は、それを行動で示してくれた。自分達はこうすると。僕はふたりの生き方をなぞるのではなく、今まで育んだ価値観と信念を持って行動し続けたい。例えそれが、両親が想像していることとは違ったとしても。
結局のところ両親には感謝しかない。僕がいつか誰かの父親になったら、父と母の話を聞かせるだろう。その子が僕を親としてどう思うのかは分からないが、幸せになってほしいと願う。僕の両親がきっとそう願ってくれているように。