実家

 大きな通りから逸れると、車の台数は一気に少なくなった。道の両脇には収穫にはまだ遠い若い稲の田んぼが広がっている。アクセルに乗せていた足の緊張が自然と緩んでいく。幼稚園だろうか。園庭には子どもの姿は見えない。海辺の街だから、晴れた日には子ども達が手を繋いで行列を作り、海まで歩いていくんだろう。住宅街の途中に踏切があって、それを渡った先のコンビニに車を停めた。濃いめのペットボトルのお茶を買ったら西の山を眺める。太陽がまだ沈んでいないことを確かめ再度車を走らせた。

 堤防沿いの道は決して広くはない。2台の車がすれ違う時には多少気を使う。ここに来る時は大抵ひとりだ。助手席側をギリギリに寄せて、ドアミラーを畳んでおく。ボタンを押すとゆっくり動くミラーと一緒に聞こえるモーターらしき音が、波音をより際立たせた。潮風は強い。砂を巻き上げるほどではないが、思わず目を細める。空と海の境目が次第に曖昧になって、あちこちで小さな明かりが灯り始めた。満潮の時にはそこまで水が来ていたんだろう。水位は低いのに、足元の砂が濡れていた。

 何をするのでもない。ただ海を見て、波の音を聞いている間に思い立って家に帰る。2階建ての賃貸マンションと思われる建物と、民家がある十字路を曲がった。人通りも少ないし他の車も見当たらないので、ゆっくりとタイヤを転がした。当時住んでいた家の場所は今でも覚えている。建物自体はもう取り壊されたんだろう。跡形も無くなり、今は背の低い芝生に覆われていた。隣には大家さんが住んでいたと、両親から話を聞いていた。30年以上前のことだから僕は覚えていないし、その方も僕ら家族を覚えているかは分からない。親が撮り溜めていた昔の写真を思い出しながら、当時の生活を何もない芝生の上に想像してみた。

 庭にはカラフルなブランコが設置されていた。正しくは写真に写っていたということだが、幼い僕がおちょぼ口でカメラに視線を向けている。きっと父がファインダー越しにその姿を捉えたんだろう。僕がその家で過ごしたのはおそらく3年くらいのはずだ。弟が生まれてすぐに今の実家に引っ越したから。自分の生まれた家は今でもその海沿いにあった小さな家だと思っている。姿形がなくとも、そして遠く離れていても僕はいつでも思い出せる。今の実家の家が好きとか嫌いということではなくて、僕が生まれて最初に過ごした家がそこだったという話だ。その事実は変えようがない。

 去年の年末に従兄弟の結婚式があって、それ以来実家に帰省していない。帰省し辛いと言った方が適切かもしれない。生まれた息子を両親に会わせることは何とか実現したけど、欲を言えば実家に皆で集まりたかった。自分自身も電車通勤することなく、労働環境が大きく変わっている。そんな中でもどうすればリスクを回避できるかを考え続けていた。どうすればリスクをゼロにできるかと。しかしよく考えたら、僕らが何か行動する時に、全くリスクの伴わないことなどあるだろうか。冬になればインフルエンザが流行するし、車で出掛ければ事故に遭遇するかもしれない。何かが起こるかもしれないという前提で、いかにその確率を少しでも避けられるか。避ける為とはいえ、何も動かないのがいつも最善の策とは言えない。

 時間はどう抗っても過ぎていく。何をしてもしなくても誰に対しても平等に過ぎ去っていく。だから僕もその背中ばかり見ているわけにはいかない。

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