つむじ

 陽が落ちてから既に数時間が経過していた。西日が強く差し込んで暖かかった部屋も肌寒く感じた。借りて来た車に、荷物と少しの手土産を積み込んで走り出した。前日の濃霧で前方が全く見えていなかった山道も、今日はヘッドライトが照らす先を視界に捉えることが出来た。街灯は少ない。いつでも明るい東京に慣れているからなのかもしれない。地表近くが暗いから、車を運転していても目線はいつの間にか夜空に向いている。急な旅ではあったけど、目的を果たして美味しいご飯や温泉も堪能したから、高速道路をどこまでも走り続けられるような気がしていた。

 予防接種を予約していたから、もう1泊は断念した。在宅勤務中であるけれど、自宅以外の場所でこっそり働くわけにもいかない。嘘か本当か確認のしようがないが、おそらくパソコンのログか何かを確認されているのだろう。長居はしなかったが濃密な時間を過ごせた。長さではなく濃さで時間の価値を見出すという考えは、昔の僕には備わっていなかった。時間は無限にあると思っていたし、人生に終わりがあることを今程意識しながら生きてはいなかったから。それに近い感覚はあったのかもしれないが、言葉に出来る程のものでもなかったんだろう。

 車の後列で、進行方向とは逆向きに設置されたベビーシートに息子は身体を埋めていた。眠たいのか不機嫌なのか、口角が下がり気味で仏頂面をしている。言うまでもないが、不機嫌だったとしても可愛い。大笑いは今のところしていないが、大泣きしていてもなぜか僕の口角は上がっていることがある。背の低い車だからベビーシートに乗せるのも一苦労だけど、彼はもっと窮屈だろうから出来るだけ相手をしていたいと思う。かなりのスピードで道を駆け抜けながら、窓から入り込んだ一定の間隔で設置された明かりに、規則的なリズムで息子の顔が照らされる。アクセルの上に置かれた足首の角度もしばらく変わっていなかった。

 予防接種と言えばインフルエンザが真っ先に思い浮かぶ。1年に1回打つか打たないかだと思うが、赤ちゃんの場合は回数も種類も多くなる。原則自己負担のない種類とそうでない種類があるが、一部の予防接種が来月から今まで任意接種で自己負担が有りだったものが、定期接種扱いとなって自己負担がなくなるとニュースで読んだ。タイミングが悪いなと一瞬思ったが、予防接種のワクチンのことを調べてみると、中々油断ならない内容だったし、何よりもそれで息子が少しでも健康に生きられるのなら財布の紐はほどける。僕自身が未だに注射に苦手意識があるから、幼い彼に痛みを軽減する方法を伝えることは出来ない。腕の中で泣き叫ぶ息子の顔は、久しぶりに真っ赤になっていた。

 もう3ヶ月だ。まだ3ヶ月しか経っていない。僕は生まれてから30年以上が過ぎた。約30年の間のこの短期間で、これほど激しく感情が揺さぶられたことはなかったと断言出来る。その激情の連鎖の中で、何度も息子と妻に助けられた。本来は僕が2人を助けなければならないはずなのに。予め決められていたのかどうかは知らない。ただ僕は自分の気持ちに素直になっただけ。完璧とは言えないかもしれないが、完璧と言えても幸せとは言えないかもしれない。でも今のこの時が最高だと言える。つむじは親子揃って二つ。何かの運命なのかもしれない。

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