最後の1枚

 ゲームは各自7枚の手札が配られた後に始まる。トランプの一束よりも高く積まれたカードの山の、一番上のカードをめくって試合開始だ。1人ずつ順番に手札からカードを出していく。どのカードでも出せるわけではない。数字が書かれたカードや、絵や記号の書かれたカードもある。そして同じ図柄のカードでも異なる色もある。このゲームの大きな特徴のひとつは終わり際にある。誰が一番最初に手札のカードを全て出せるかを競うのだが、手札が最後の1枚になった時には必ず「UNO」と声に出さなければならない。

 知っている人も多いとは思うが、全てのカードにはアルファベットで「 UNO」と書かれている。UNOはイタリア語で数字の1を表す単語。なるほど手札が残り1枚になった時に「UNO」というのも納得が出来る。それを知らなくても楽しいカードゲームだと思うし、知ったからと言ってゲームの勝敗に何か直接影響するとは考えにくい。トランプと違って数字が書かれたカード以外にもゲームを有利に進めたり、逆転を演出するような奇抜な種類のカードも含まれているので、最後まで気が抜けないのも魅力だ。

 手札のカードの数は少なければ少ないほど有利だ。そして自分以外の参加者の手札を強制的に増やさせるカードが存在する。そして厄介なことに、色が違っても同じ種類のカードならひとりで複数枚出したり、次の人間も同じ種類のカードを連続して手札から出せるのだ。自分の手札から出せる間はまだ安心していられるが、溜まり溜まった時に手札から出せるカードがないと、溜まった枚数を山札から引かなければならない。場合にはよっては20枚近く一度に手札が増えることになってしまうので、勝機からは一気に遠ざかってしまうだろう。

 手札を増やさせるカード以外にも、自分の次の参加者の順番を飛ばしたり、カードを出す順番を反転させたりする物もある。手札が失くなりそうな相手の順番を飛ばして、相手を妨害してゲームを有利に展開する方法もある。そしてその中でも起死回生とでも言うべき、個人的には最強の一発逆転カードと思っているカードが存在する。ちなみに僕の記憶が正しければ、昔のUNOにはその手のカードは含まれていなかったはずだ。そのカードとは自分の手札と相手の手札を入れ替えられるというもの。これを使えば例えば先ほど紹介したように一気に自分の手札が増えた時でも、他の誰かの残り少ない手札と交換することが可能で、一瞬で形勢逆転する可能性がある。但し交換したい相手の手札を見れるわけではないから、使った後にすぐ自分の手札が失くなるかどうかは約束されていない。それでも何枚も手札として持ち続けるよりはいいと思うが。

 UNOの話をしたかったのではなくて、UNOというカードゲームが僕がずっと昔から慣れ親しんだ数少ないカードゲームだなと感心していたことを言いたかった。親戚の子ども達と初めて会った時にやったのもUNOだったし、今彼らと会ってもUNOで遊んでいる。自分が小学生の時にやっていた遊びが今も変わらず続いているのは、ささやかではあるけれど奇跡のように僕には感じられる。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

未分類

前の記事

霧の目隠し
未分類

次の記事

弔い