若松の海

 今はもう手放してしまった、ホンダのレプソルカラーのバイクで通った海。生まれてからの数年間、その海のそばで育った。

 今の実家の場所に引っ越すまで住んでいた家は、瓦屋根の茶色いトタンの壁で、小さな庭付きだった。海沿いの町ということで、各家には簡単な生垣が備えられ僕の家にも木々が適度に繁っていた。家から海までは歩いて5分程度。潮の匂いがすぐに漂ってくるくらいの距離だ。海は遠浅で、夏には海水浴場になる。それ以外の季節は、海苔の養殖を行っていたようで、収穫用の木製の船が何隻も砂浜に置いてあった。堤防に沿って松の木がまっすぐ並んで生えており、住宅地のちょっとした目隠しになっていた。

 その頃の記憶はほとんどない。3歳くらいまでしかいなかったから。ただ、父が趣味で撮り溜めていたビデオテープや、アルバムの写真で当時の様子を垣間見ることができた。

 こんなことがあったそうだ。父が散髪に出かけた時のこと。小さかった僕は、何を思ったか父の後をひとりで追いかけるように家を出てしまったそうだ。とことこと歩き続けて、海の近くの踏切に差し掛かった。遮断機を待っている間にそこで立ちしょんべんをしたそうだ。そして電車が通り過ぎて遮断機が上がると、またひとりで歩き出した。踏切からしばらく行くと、僕が生まれた病院がある。ちょうどその前を通りかかった時に看護師さんが呼び止めてくれたそうだ。交番から連絡をもらった両親が病院に迎えに来た時には、僕は呑気にはちみつレモンジュースを飲んで上機嫌だったそうだ。名前も分からない看護師さん、あの時呼び止めてくれて両親の元に戻ったおかげで今も元気にやっています。ありがとうございました。

 夏には海に入って遊んだ。砂浜はただでさえ直射日光でとても熱いのに、貝殻がたくさん落ちていて裸足で歩くと痛かった。監視台のそばには、水色に塗装された水浴びのできる丸いプールがあった。中心の支柱から水が流れ出ていて、頭からかぶると気持ちいい。疲れたら海の家の休憩場に家から持参したビニールシートを敷いて昼寝をする。優しい波の音が、耳に心地よい子守唄だ。

 堤防沿いを歩いて行くと、小さな灯台に辿り着く。灯台に行く途中で釣りをしている人を見かけた。灯台に明かりが灯っているのはあまり見たことがないけれど、沖にはよく船がいたのできっと誰かの道標になっているんだろう。

 上京してから時々、神奈川の江ノ島に出かける。江ノ島の海を眺めながら、故郷の海を想う。住んでいたあの家はもうない。実家に帰省した時には、若松の海に行く。寄せる波が砂を掻き混ぜ、泡になって消える。心の微かな揺れに似ている。穏やかな日も大荒れの日も、真っ白い帆を張って越えて生きたい。

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