泣き言

 これから先、僕はたったの一度も泣き言を言わずに、どんなに辛い出来事が待っているとしても必ず状況は良くなると信じて生きて行けるだろうか。他の誰かを傷つけるくらいなら、自分の歯を思いっきり食いしばって、荒ぶる感情が平穏を取り戻すまでじっと絶え続けられるだろうか。僕は感情の生き物であると同時に、理性も備わっている。他の人達と生活の一部を供用するということは、大なり小なりその理性というものを働かせて、自分の正直な気持ちをありのまま曝け出すことはせずに振る舞うことなのだろうか。

 物事がうまく進んでいる時ほど、それがいつまでも続くような錯覚にいつの間にか陥っていることがある。そしてそのことに気付くのは、いつも何か事が起こってからだ。僕は自分のことを気の長い人間だとは全く思っていない。自慢で言っているのではなくて、社会に出て働き始めて10年以上経過しているのに、自分の感情とうまく折り合いが付かずに反省の日々が今も続いているからだ。強固な自信を持ちながら、時にそれは落胆のため息に乗って体外へ排出されてしまうようだ。文句を言って周りの人達を困らせてしまうことも度々ある。

 幼い息子が最近僕の抱っこで寝なくなった。僕の抱っこが原因なのかは分からない。今まで結構早く寝ついていたから、ずっとうまく寝てくれると思っていた。ただ抱き上げて鼻歌を歌ったり、小さな声で話しかけたりして、背中をリズム良く叩いたり摩ったりしているうちにいつの間にかか細い寝息が耳に聞こえていた。でも目を閉じたと思っても、布団に置いた途端に目を覚ましてしまう。背中を丸くさせて、自分の胸に顔を埋めるように抱いてみても泣き続ける。そしてそれを何度も繰り返しながら、僕はとてもイラついてしまっていた。

 目の前の息子を見ていたはずなのに、僕の頭の中は「何で寝てくれないんだ」という負の感情で一杯になってしまって、寝てもらう為に出来ることが他にないか考えることを放棄してしまっていた。最初から何もかもがうまくいくはずがないのに、親になってからたった2ヶ月半の自分に一体何をどこまで期待していたんだろう。冷静になった時、親としての自分を心底嫌になりそうだった。僕は期待する側ではなくて、期待に応える側だったのにと。応えられないこともあるかもしれないが、自分から投げ出すことをしてはいけなかった。投げ出さないと誓ったのだから。

 2本の腕の中にすっぽりと収まっていた息子の足は、今はもう授乳枕からはみ出してしまっている。身長も10cm以上伸びて、体重は2倍以上になった。時々思い出したように悲鳴にも似た泣き声で呼ぶけど、機嫌がいい時にはずっと声を出している。でも大人同士の会話ではないから、正確に何を求めているのかはいつも手探りだ。感じ取って考えて、相手に伝わるまで行動し続けるしかない。大きくなって言葉を覚えたとしても、言葉に本心が必ず現れるわけではない。目に見えることや耳で聴けることは物事の表層であって、その奥にある心を捉えていく。

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