全力
6時過ぎにはいつも風呂に浸かっている。家族が増えるまではほとんどシャワーで済ませていた。もちろん湯船に浸かった方が血行も良くなるし、リラックス出来るし結果的に良く眠れる。そして次の日の朝には余計な疲れを引きずることなく目覚められる。敢えて言うなら血行が良くなり過ぎて汗が引くのに時間が掛かるということ、そして水道代が掛かるというデメリットすらも入浴のメリットは超越していく。ばらばらだったシャワーを浴びる時間も、今は出来るだけ同じ時間になるように心掛けている。
夕飯を妻と一緒に食べている途中で、眠っていた息子がもぞもぞと動き出す。自ら再度眠ることは稀で、食べ終わったどちらかが抱っこすることになる。ここ数日それが続いていた。寝てほしいと思っていたのが、今すぐ寝なくても遅かれ早かれ寝るかという気持ちに切り替わっていた。だから思いがけず夕飯の最中も起きずに眠ったままだと、何だか寂しい。一緒に入る風呂が、当日最後の抱っこになる可能性もあるからだ。息子の成長にとってはもちろん歓迎すべきことだけど、翌朝までが長く感じる。
最近はよく話をするようになった。言葉にならない声を出すようになったのだけど、もちろん何を言っているのか正確には分からないが、生後2ヶ月半を過ぎた息子と会話をしているような気分になる。僕は彼が出す音をただ真似し続けているだけ。口を窄めて喉をごろごろ鳴らすように声を出している。おうむ返しすると、興奮しているのか更に大きな声を出している。顔の筋肉がよく動いて表情も豊かだ。動きも機敏になっているし、僕や妻のこともはっきりと目で追うようになった。
風呂に入っている時も、泣いて騒ぐことはほとんどない。寝返りはまだしないけど、首の力が強いのか頭を逸らして手足を動かしている。首や脇の下を洗われるのがくすぐったいようで、その時はじっとしていない。息子の頭を湯船に浸けないように、必死に支えている。風呂上がりには綿棒で耳掃除をして、必要なら爪も切っている。子どもの爪は驚くほど柔らかい。でも柔らかいからと言って、伸ばしたままだと掴まれた時に結構痛い。大人と違ってじっとはしていないから、爪以外を切らないように恐る恐るハサミを握っている。
電気を消したからといって、すぐに眠りには落ちない。風呂上りでさっぱりしたのか、気分が良くなったみたいだ。音が鳴る猫の縫いぐるみを見つめていたり、独り言のように声を出している。僕は息子の目を見つめながら、意味のない擬音を連発して遊んでみた。寝る時間ではあるけれど、眠たくなければ大人も子どもも眠らないのは同じだ。相手をしている内に突然ぐずり出したら、すかさず抱き上げる。軽く揺れたり、背中を摩ったり軽く叩いたりしながら目を閉じるのを待っていた。腕の中で泣いてもがくようになったらその時は近い、と思っている。しかし目を閉じても布団に降ろすまでは気が抜けない。
加減を知らないし、これから時間を掛けて学んでいくだろう。こちらが加減を知っていても、全力で向かってくるから全力で応えようとする。静かに眠っている顔を見ながら、自分も思った以上に消耗していることに気付く。人間をひとり育てるというのは、並大抵のことではない。覚悟していたつもりでも、時々それを飛び越えてしまう。それでもいい。育てる側も同じ人間なのだから。足りないのなら分け合えばいい。立ち上がれないのなら支え合えばいい。育てるつもりが、育てられているのはいつも自分だ。