鋸
メジャーで約30cmの箇所に刃を当てて何度か押して引く。合板の端から5mmくらいの場所まで切れ込みが入った。反対側に刃が通り抜けるまでは大体90cmの距離がある。一直線に上から下まで進めたいのだけど、少し左にずれ始める。適度に刃全体がしなっているから、途中で止まることはほとんどない。それよりも腕が短い休息を求めるのに従って、冷たい麦茶を一気に飲み干した。そしてまた柄の部分を握って、押して引くを繰り返していた。額に汗が滲み始めたと思っていたら、地面に溜まった砂のような木屑を濡らし固めていた。
住んでいる部屋のベランダには、大小数種類の大きさの合板が立てかけられていた。1年以上前からそこに置いてあって、ずっと手付かずのままになっていた。特に使い道が見つからないままで処分しようとなった時に、お金を払って粗大ゴミとするか普通に捨てられる大きさにして捨てるかを考えた。木材を切る道具は揃っている。揃っているというか、問題なく切れるであろう最低限の装備があるだけだ。中古のスツールの上に木材を置いて、片足で押さえて刃を入れ始めた。
バタバタと細かな振動が手の平や指に伝わってくる。体重を乗せて押さえているつもりでも、スツールの座面の中央が少しだけへこんでいるから水平にならない。普段使い慣れていない道具を使っているということも、手間取っている理由のひとつだろう。合板はお世辞にも切断しやすい大きさにはなっておらず、一枚の板に何度も刃を入れなければならなかった。一度切る度にメジャーに持ち替えて30cmを測る。滴り落ちる汗がポタポタと板を濡らしていった。
時間は既に3時を過ぎていた。外は暑くも寒くもない天気だったが、集合住宅のベランダで暗くなるまで刃が木材を削り切る音を放ち続けるわけにはいかない。しかしゴミの回収日までの日数に余裕があるのでもない。何とか暗くなる前に切り終えたいと、余計なことは頭から押し出してひたすら手を動かし続けた。無心でノコギリを動かしていると、どうやら押す時よりも引く動作を意識的にやった方が刃の進みが良い気がした。プロの方々が何というか定かではないが、背筋を意識して引く時に素早く動かしてみる。合板だから硬い部分と柔らかい部分が混在していて、最初から最後まで一定の速度で切り続けることは難しかった。木の繊維がぎゅっと詰まったような場所や、適当にくっつけ合わせただけのような部分に繰り返し交互に当たっていた。
怪我をしないようにと、この時期に普段は絶対に着ないであろうパーカーをTシャツの上から羽織り、半ズボンは長ズボンに履き替えた。ただ作業に熱が入り過ぎて、どうしようもなく身体が熱くなってしまい、大量の汗を掻いていた。気付いた時には、Tシャツだけではなくてパーカーも濡れてしまって、残暑の風が冷たく感じられた。一番大きな合板を真っ二つにして、更に3分割にする。そして出来上がった長方形の板を再度三つに切り分けることを2回繰り返した。そして最後の木材が一番切りやすくて、何とか陽が落ちるまでに作業を終えた。
「鋸」がノコギリの漢字だったことは、この文章を書く時に知った。目にゴミが入るし、マスクの中は蒸れる。無心でひたすら柄を握り続けた。ただ木材を延々と切り続けただけなのだけど、そこには不思議と達成感があった。しばらく体感していなかった気持ちだ。心の鬱屈としたものまで切り落としてしまえたような後味。もっとシンプルに、強く生きていけるような気さえした土曜の午後だった。