綺麗な夜

 金曜日の夜の街を歩く人達は、いつもどこか浮き足立って見える。それは僕も例外ではなく、仕事が終わる午後6時の数時間前から既に土曜日が始まった心地になっている。とても気分がいいのだ。週末の休みは、もちろん決まった日数しかないのだけど、永遠に続くような錯覚に陥る。そして月曜日が近づく度に、少しずつ現実世界に知らず知らずの内に足を踏み入れているような気持ちになっている。夜通し騒ぎ続けても死ぬまでは続けられない。いつまでも続かないと知っているからこそ、人々は繰り出して輪になるのだろうか。

 久しぶりに井の頭線に乗った。改札を通ってすぐのエレベーターのボタンを押して扉が開くを待つ。駅構内の雑音に掻き消されているのか、無音のままエレベーターが到着して、静かに扉が開いた。渋谷方面のホームまで昇って、また扉が開く。電光掲示板には光のドットで、電車の行き先と一緒に急行列車か各駅停車かが表示されている。ホームで待つ人はまばらで、大抵はスマホの画面を見ながら指を忙しく動かしたり、考え事をしているように見えた。

 急行列車に乗っても、もちろん車窓の向こうの景色が見えなくなることはない。吉祥寺に向かって走る列車は、目を閉じていても確実に終点に近づいていく。途中で降りる人、途中から乗り込んでくる人。次にすれ違うことがあったとしても顔すら覚えていないであろう人間達が、まだ暑さの残る9月の冷房の効いた電車内の空間を共有している。外の景色は緑が増え始め、やがて住宅地の合間に林が広がりだした。散歩に良さそうな適度に整備された道や、大きな池の輪郭が微かに見える。井の頭公園を過ぎると、そこはもうほぼ終点と言っていい。

 吉祥寺でベビーカーを押していたのは自分達だけではなかった。ある意味当然のことではあるのかもしれないが、思っていたよりも親子連れの姿が多かった印象だ。駅前の横断歩道の途中にある、金属製の象の近くでベビーカーを止めて何やら談笑している人達や、信号が変わるのを待ちきれないように大きな声でもがいている子ども達もいた。連休の初日でも普通の週末でも人の流れは絶えない。東京だからというわけではなく、街ごとに色濃く人間の生活の片鱗が漂っている。

 ケーキを買う為に夜の下北沢を歩く。目の前にお父さんと手を繋ぐ女の子がいた。陽はすっかり落ちてしまっていたけど、道沿いの店から漏れている照明や立ち並ぶ街灯、そして駅舎がライトアップされていて明るかった。今日だけ特別なのではなく、僕にとっては毎日の見慣れた風景だ。「夜はきれいだね」と女の子がお父さんに話しかけている。お父さんが「うん」と相槌を打ったのは聞こえたが、その後話が続いていたのかは分からない。世界で一番きれいなものは、ひとつではない。一番と言っておいて複数あるというのは不思議な話だ。複数あるというよりも、ひとつに決められないと言った方が適切かもしれない。何を見てきれいだと言葉にするよりも、素直にきれいだと言えるその心こそが一番美しい。

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