この身体
僕には一つの身体が備わっている。頭蓋骨の中には脳味噌があって、隙間が全くない程詰まっている、と思いたい。そして対になった二つの目が付いている。厳密に言えば完全に左右対称にはなっていない。一見すると同じように見えても、30年間生きていれば多少の歪みや左右差は出てくるだろう。首と繋がっている上半身があって、その中心で心臓が脈打っている。今のところこれまで一度も止まってはいない。健康でいるというのは尊い。そして仮にどんな状態になっても、生きて行こうとする意思は更に尊い。
心臓を身体の内側に匿いながら、歩行に合わせて腕が振られている。その腕は、背中から動き出したのが腕の末端に伝わっていくように自然に揺れている。僕は上腕三頭筋を鍛えることに囚われているから、歩きながらガラスに映る自分の全身よりも、常に腕の動きを気にしている。腕を後ろに引いた時に、三頭筋がどれくらい盛り上がっているかを確認するのが、ある意味では日課になっている。僕がそんなことをチェックしながら歩いているなんて誰も知らないだろう。
お腹周りが最近少しだらしない。腕ばかり鍛えているからではない。なぜなら腕立て伏せを行う時には、爪先と手の平で身体を支えているから体幹を安定させる為に筋肉の緊張をほぼ解かない。それとは別のメニューとしてプランクもやっているから、腹筋の上半分はある程度引き締められてきた。つまり下半分は人にあまり見せられる状態ではないということだ。見たい人がいるかどうかは別として、そして自分の身体の一部に自信が持てないままいるのはもやもやするだけだから。
腹筋から下の下半身は、特に弛んでいるのでも引き締まっているのでもない。でもやはり腕立て伏せの時に体幹を固定する際に、尻にもかなり力が入っているので、現状は無駄に大きくはない。足全体で言えば、太くもなく細くもないという、ある意味生活習慣通りの体型になっている。30代になって特別疲れやすくなったとか、筋肉が減ったという感覚は今のところない。ただもし身体を鍛えることに興味がなくなってしまったら、ネガティブな加齢の影響をもっと直に感じるのかもしれない。
今日は昨日の続きで、明日は今日の続きだ。でも実際は時間は区切りなく流れ続けている。地球も回り続ける。太陽が西の空に沈み、東の空から登る度にカレンダーの日付を変えている。でも僕らが沈む太陽を見ている時に、別の場所では昇る太陽を眺める人達がいる。眠っている時間を別のことに充てられたらと思う。布団やベッドに横にならなくても、数分目を閉じるだけで回復すればいいと願う。でも人間の身体はそのようには機能しない。少なくとも僕の身体はそうではない。眠らなければ、きっと後で失って後悔することが少なくないから。
取り替えの効かない身体。自分だけの心。限りある時間。可能性は誰かに与えられるのではなく、自分で見出して信じることだと思っている。蓋や囲いをするのは、いつも他の誰でもない自分自身なのだから。