あと一足

 靴を買いに出掛けても定番のスニーカーしか買わない。だから買い替えても色が違うだけで、その他は全く同じモデルの靴が玄関に置いてある。出来ることなら僕だって、定番商品ではなくて奇抜な色や洒落たデザインのスニーカーを履きたい。何がそうさせないかというと、自分の足に合うサイズがないという事実だ。僕が履いているのは30cmか29.5cmの靴だ。爪先を余らせているのでもないし、無理やり大きい靴にしているのでもない。単純に足のサイズに合う靴がほぼないというシンプルな理屈だ。

 僕は死ぬまでに、後何回くらい靴を履き替えるだろう。おそらく両手両足を使って数えられるくらいは買い替えるはずだ。もしかしたら全てオーダーメイドで作ってもらって、それを定期的に修理しながら履き潰すのかもしれない。今だってそれが可能ならそうしたい。サイズを表す数字は問題ないはずなのに、実際に足を入れると何だかキツく感じたり、余裕があると思って買って帰ったら、必要以上に余裕があって着ぐるみの足みたいになっていたり。自分の足にぴったり合う一足というのは見つかりそうで中々見つからないものだ。

 実家にいる家族が皆でどこかに出掛けたらしい。そしてその話を祖母にしたら、祖母も行きたい場所があるという。祖母はもちろん高齢ということもあるけど、自分の事をペーパードライバーと昔から自負していたので、僕の妹が車の助手席に乗せて連れ出してくれた。祖父はあまりプライベートで外に出掛けることがない人だから、孫と2人水いらずだったとのこと。祖母と2人で色々な話をしながら、アウトレットモールに向かった。祖母は新しい靴を買いたかったそうだ。値段も手頃になっているだろうし、掘り出し物がありそうなので楽しみだったはず。

 靴を選びながら「最後の靴を買わなあかん」と妹に言っていたそうだ。僕が言われても同じだと思うが、返答にとても困ったらしい。祖母は僕が小さい時から海外も含めて色々な場所に旅行に出掛けていたし、つい最近も出産祝いのお返しが届いたと電話があって張りのある声が聞けたから安心していた。今すぐに祖母がどうこうなるのではないけど、もしかしたらとは頭をよぎる。明日どうなるか分からないというのは、年齢に限ったことではないが、生まれた順番から考えられる可能性で言えば何があってもおかしくはない。祖母も時々自分で言っていた。僕はその度に「まだまだやんか」と言っているけど、久しぶりに写真で見る祖母の顔に積み重ねた長い月日を感じ取る。

 「最後の靴」なんて言わないで。まだ僕の息子を抱っこしてないのに。ばあちゃんからしたら既に初めての曽孫ではないけど、僕はばあちゃんにとっての初孫でたくさん愛情を受けたから。そして中々会えない今でも何かと気にかけてくれているから。「ばあちゃんが、僕のばあちゃんでよかった」なんて湿っぽい言葉は胸の奥にしまっておくから、今度は僕も一緒に次に履く靴を買いに行こう。

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