世界の中心
その静寂は、まるで世界に自分以外の人間が誰ひとりいなくなってしまったかのようだった。風が吹き続けている。脇道に腰くらいの高さまで生えた草が茂っていて、それらを小刻みに風が揺らしている。もう一度地図を出して広げてみる。飛ばされないように両手で持ってはいるのだけど、絶えず紙がばたついて辺りも薄暗く印を付けた目的地がよく見えなかった。1日中ずっと歩き続けて、両足が棒のように固っている。どこかで横になって休みたいのだけど、僕にはゆっくりしていられる時間はなかった。
最初に手に入れたのは古い地図だった。主要な道ははっきりと記されているけど、後は大雑把にしか読み取れない。唯一目的地としてくっきりと星形の印が刻まれていて、僕が生まれた時からその目的地は決まっていたらしい。ただそう言われても僕には全く見当が付かず、旅の最初から今日まで地図を睨み続けていた。歩き出してからもう何度も西から昇り東の空に沈む太陽を眺めてきたけど、一向に旅の目的が何なのか分からないでいた。それでも手掛かりがあるとすれば、僕にはその古い地図しかないのだから、手放すという選択肢はなかった。
地図を手に入れた後に寄った店では銀の方位磁石を手に入れた。決して安価な品ではなかったので、僕はその時に持っていた旅の道具の一部を店主に預けて、必ず返しに来ると約束し一時的に磁石を預かるという形を取った。「旅の目的を果たした時には、これはもうあなたには必要ないでしょうから」と言って店主は優しく微笑み、皺だらけの手で大事にそれを僕に手渡した。しかし地図と組み合わせて使えば正しい順路で道を進んでいけるはずなのに、なぜか数回道を間違えてしまった。そして気付いたのは、その磁石が指しているのは、どうやら方角ではないという事だった。
そして最後に僕が手に入れた、というより見つけたのは、いつも夜になると頭上に輝く星だった。その星は他のどんな星よりも明るかった。僕の頭の真上にあって、寝転がらないと首が痛くて長い時間は見ていられないくらいだ。僕以外の誰かがもしかしたら同じように眺めているのかもしれないけど、毎日同じ場所で輝いているからひょっとして何か道標の代わりになっているのかもしれない。もしくは太陽程の温もりは感じないまでも、このいつ終わるとも知れない一人旅の寂しさを少しは慰めてくれていたのかもしれない。
長い旅の果てに、僕は歩き疲れてもう一歩も動けなくなっていた。額から流れ落ちた汗が上着を湿らしていたけど、それも風に吹かれて乾いて体温だけを奪っていく。何度も見返した地図も雨でボロボロになって、目的地の印を付けた部分以外はほとんど何が書いてあるのか分からなくなっていた。なぜどこにも辿り着けないのだろうと考えながら、ポケットから磁石を取り出した。赤く塗られた側の針は、北でも南でもなくいつも自分に向いていた。気付いた時からずっとそうなっていた。頭上には今日も一際明るい星が一つ輝いている。そう言えば旅を始めた時からずっとそうだったような気がする。地図、磁石そして星。いつも変わらずにいた。
今夜も僕の頭上に星は輝いている。僕は久しぶりにその店を訪ねた。店主は僕の事を覚えているだろうか。入り口の扉を開けると、控え目なチャイムが優しい照明に照らされた店内に響く。預かっていた磁石を懐から取り出す。その針が指す方向が南北ではなく、僕に向く事はもうないだろう。