秋の風
よく飽きもせずに毎年季節は巡るものだと思う。連日の酷暑を告げるニュースは鳴りを潜め、日本の南から北上する台風の話題がネットニュースの見出しを埋めている。そう言えば東京もここ数日まとまった雨が地面を打って、熱気を攫ってどこかに連れて行った。涼しいという言葉が口から出る程快適ではないけど、時折吹き抜ける風が確実に次の季節の到来を予感させる。春は緑が鮮やかで、夏は太陽が眩し過ぎて肌の奥まで焼かれるようだ。厳しい冬に浸かる露天風呂と鍋を囲む食卓の温もりはいつも心に染みる。でももう夏が戻らない事を分かっていながら時折覗く太陽と、暖色に染まった風景の中で過ごす秋が僕は一番好きだ。
息子を抱っこ紐で抱えて買い物に出掛ける。気温は低くないが風が結構吹いていて、額に浮かぶ汗をほんの少しだけ乾かしてくれた。それでも暑い事に変わりはない。Tシャツと短パンとは言え、体重6kgを超える幼児を前に抱えている状態では身体の前面の熱気の逃げ場がほとんどない。子ども用品店で購入した携帯用の小さな扇風機の風も、自然に吹いている風に紛れてしまって、どちらの風が届いているのか定かではなかった。僕は首筋に向かって扇風機を当ててみるけど、思ったよりも涼しくはならない。
スーパーの入り口付近には、秋のフルーツや野菜がプラスチックケースや段ボールに入れられて手に取られるのをじっと待ち構えている。僕は特別好き嫌いはないから、野菜ならほぼ何でも食べる。ただ秋の味覚と言えば、野菜よりも種無しの巨峰やピオーネという品種のフルーツが特に気に入っている。毎回お店に行って気軽に買える値段ではないので、実際には1週間に1回買うか買わないかくらいだ。そして種無しとパッケージに書いてあっても、時々小さな種が紛れている事があって、一粒で見つかるとその房の他の粒も大抵同じように種を見つけられる。
息子はいつもスーパーに着くまでの短い時間に眠ってしまうのだけど、今日は珍しく家に帰るまで目を開け続けていた。エアコンで冷える場所に行くと手足が冷たくなるけど、本人は静かにどこかをじっと見定めているようだった。買い物を終えて曇り空の下を家まで歩いて帰る。たこ焼きが無性に食べたくなって、妻に頼んで買って来てもらう事にした。僕は息子を抱えたまま先に家に向かった。抱っこ紐から降ろして寝かせた時にスマホの着信音が鳴り響いた。
出産の内祝いに贈った品が届いたと、僕の祖母から連絡があった。祖母は80歳を超えているとは思えない程の張りのある声で話をする。台風が近くまで来なくてひとまず良かったとか、今週末に別の台風が近付いているとかの話をした後に、電話口の声は祖父に変わっていた。祖母はスマホを使っているが、祖父は電子機器があまり得意ではないようで、自分から連絡する手段は未だに家の固定電話だ。とは言っても祖父自ら僕宛に電話が掛かって来た事は今まで一度もなかったので、これからも今回のように祖母のスマホで会話する事になるだろう。2人からすると息子は曽孫になるが、まだ直接会っていないので早く気兼ねなく会える日が来るのを切に願っている。
秋はこれから日増しに深まっていくだろう。半袖で出歩いていた街も、徐々に木枯らしが吹き始め、枯れ葉が重なり合って乾いた音を立て始める。串焼きの銀杏と冷たいビールが最高に美味い季節も、あっと言う間に過ぎ去っていく。振り落とされないようにしっかり掴まって生きていく。